DA PUMPの「U.S.A.」を艦船の甲板で踊ってくれた。どこかホッとする“軍の街”、横須賀。
漁村として安泰だった横須賀の海岸に、黒船がやってきたのは今からおよそ170年前のことです。
以来、外交の舞台となり、鉄鋼産業や造船技術が集結する巨大軍都として発展した横須賀。
今ではアメリカ海軍の基地、そして海上自衛隊の最大の基地がある街として知られていますが、横須賀のように米軍が国外にある基地でその街の人と肩を並べるようにして基地を運営しているところは珍しいのだそうです。
いち早く文明開化の波を受けた街、横須賀。艦船の修復設備が建ち、鉄鋼産業と造船技術によって、日本の近代化の基礎を築いた
JR横須賀駅から徒歩5分のところにある横須賀港では、停泊する日米の艦船をめぐるツアー「YOKOSUKA軍港めぐり」が定期就航をスタートして今年(2018年)で10年。このクルージングの案内人として生解説をしている泉谷翔さんと若杉香織さんは、船の上から見える自衛官の人たちやアメリカの海軍の人たちの様子を次のように話していました。
「港の入り口で海上自衛隊の艦船とすれ違う時、『帽振れー!』っていう号令が聞こえてくることがあるんですよ。自衛隊の皆さんがビャッってこっちを見て一斉に手を振ってくれます。」
「1日に5便運航しているとして、一つの艦船につき、行きと帰りで全部で10回クルージングが目の前を通るわけですが、潜水艦の見張りをしている自衛官の方は毎回手を振ってくれるんです。」
「アメリカ海軍の方も手を振ってくれますね。中にはクルージングのお客様に向けてパフォーマンスを見せてくれる人もいますよ。DA PUMPの曲『U.S.A.』のダンスを踊ってくれたりとか…。」
自衛官だけではなく、アメリカ海軍の方達からもおもてなしの気持ちのようなものが感じられるという「YOKOSUKA軍港めぐり」は、軍所属の船という、誰でも構えてしまうような緊張感のあるものを対象にしていながら、乗船した人たちから「人間味を感じる」「ホッとする」という声がよく聞かれるのだそうです。
▼ 「くらま」が引退するとき、思わず涙がこぼれました。
「YOKOSUKA軍港めぐり」の案内人、泉谷翔さん(左)と若杉香織さん(右)
実際にクルージングを体験してみたところ、アメリカ海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」のような巨大な船や潜水艦、そして海上自衛隊のイージス艦など、この日はおよそ30隻もの艦船を見ることができました。
どれを写真に撮ろうかと目移りするほどでしたが、そんな中でも印象深かったのは、11月30日(2018年)に亡くなられたジョージ・ブッシュ元大統領のために、船の国旗が半分の高さにまで降ろされているという若杉さんの解説でした。そうした感想を若杉さんと泉谷さんに伝えると、泉谷さんは案内人が最新のニュースも自然に盛り込めてしまうわけを次のように言います。
「誰でもわかる話やちょっと面白い話を入れて、お客さんとの距離を近づけながら艦船の話をするんですね。もともと、『船の中は揺れるから気をつけてくださいね』というような注意事項以外、解説のマニュアルはないんですよ。ですから、案内人によってそれぞれの艦船についても全然違う視点で話をしていますよ。」
前職はバスガイドだった若杉さんは、3.11のあと軍港めぐりの案内人に転向した。艦船のことをメモしたノートは、今では図鑑のようになっている
定期就航が始まって以来、案内人を務めてきた泉谷さんは思い入れのあった艦船を振り返って話を続けます。
「一時代前のヘリコプター搭載護衛艦で、大砲が前に2本付いている、かっこいい船体の艦船があったんですよ。『くらま』というんですが、横須賀にお別れをしてから引退するといって横須賀港にやってきたとき、出航する『くらま』を見送りながら、『くらま』が引退するのか…、なんて一人涙しました。」
運が良ければ、南極観測船やめったにやってこない外国の船なども見られる。入港してくるイージス艦とクルージング船がすれ違うこともある
乗る日によって見られる艦船の種類も数も異なるのはもちろんのこと、案内人それぞれが伝えたいことも異なる「YOKOSUKA軍港めぐり」。行くたびに違う体験ができることを楽しみに訪れるリピーターもあり、2018年の乗船者数は25万人を記録し、定期就航が始まってから右肩上がりの成長を続けています。
ともに横須賀出身である若杉さんと泉谷さんは、横須賀の「どぶ板通り」などの街の商店街の人たちとも交流があり、「最近どう?」と話しかけられることもよくあるそうです。土日には乗船客が1000人を超えるというクルージングですから、街のお店に及ぼす影響は相当なものなのでしょう。
とはいえ、6−7年くらい前を振り返ると、横須賀にはあまり人が集まってこなかったとして、泉谷さんは次のように述べていました。
「僕らが小さいころは横浜や東京に憧れたりっていうのがあるのですけど、大人になるとやっぱり横須賀ってすごいなって思うんですよね。横須賀は黒船がやって来たときからずっと歴史があって、全国でも類まれな地域資源があるんです。それなのに、“軍の街”っていうマイナスイメージで横須賀は締め付けられていた。」
「『YOKOSUKA軍港めぐり』がスタートすると、マイナスだったものを観光という視点でプラスに変えていこうという動きが一気に起こったんですね。海軍カレーがヒットしてネイビーバーガーが生まれ、ミリタリー系のアンテナショップもオープンし、古臭いと言われていたどぶ板通りに人が集まるようになりました。でも、横須賀はまだまだこれからなんです。」
山が多く、周辺地域とトンネルでつながっているような横須賀には、“山の向こうは隣町”という閉鎖的な文化があります。
なかなか他の地域の人たちと交流ができずにいた横須賀の人たちですが、街の外から軍港めぐりにやってきた人たちの「昔は怖いイメージがあった」「また来てみたい」といった言葉によって、掘り起こしきれていない街の歴史や、“軍の街”であることで発展したテクノロジーなど、伝えられることがたくさんあると動き出すようになったのです。
▼ 街中ですれ違う人に手を振ることはないけれど、船に乗って人に出会うと、なぜか手を振りたくなる。
地方都市がどんどん画一化され、商店街にチェーン店が増えていく一方で、スカジャンなど、不良っぽさを漂わせる雰囲気が今も残る横須賀の「どぶ板通り」。
「街を歩いていて、すれ違う人に手を振る人はいないと思いますけど、船に乗って人に出会うとなぜか手を振りたくなるんですよね。」と言う若杉さん。
頑なな横須賀の人たちも、横須賀を近寄りがたいと感じていた街の外の人も、アメリカ海軍や海上自衛隊の人たちも、最初の一歩としてクルージングがあることでお互いに馴染みやすくなっているのかもしれず、若杉さんも次のように話していました。
「数年前から自衛官の方に手を振ってもらえるようになっただけでなく、最近では『一所懸命振っているのに振り返してくれないんで、悲しいですよー』って言われることがあります。ですので私たちも、案内をする中でなるべくお客様からも手を振ってもらうようにしているんですよ。」
日産自動車も、横須賀リサーチパークにあるドコモR&Dセンタも、最新技術は全て軍関係の技術をもとに産業として発展したもの。掘り起こしきれていない地域資源が横須賀にはまだまだたくさんある。
地理的に閉じこもりがちな横須賀は商店街一つを取っても、古いものがたくさん残っていて、その一方で港からは誰も見たことのないようなものがどんどん入ってくる、古いものと新しいものとがせめぎ合いをしているような街。
泉谷さんは、新しいものとどうやっていこうか、バランスをとっていこうかというのが昔からの横須賀の文化なのだとお話されていました。
そんな横須賀でも特に「どうやっていこうか」という状況に置かれてきたのは、今では日米の艦船とたくさんの一般人を乗せたクルージングが行き交うようになった横須賀港でしょう。
お互いに立場をわきまえつつも受け入れ合う横須賀の文化は、今も昔も、この港から街の中へと流れているのです。
【取材協力】
◼株式会社トライアングル「YOKOSUKA軍港めぐり」案内人 泉谷翔、若杉香織
著者:関希実子・高橋将人 2019/1/23 (執筆当時の情報に基づいています)
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