Uターンではなく、地元・前橋でコーヒー店を始めた。地元の人にとって当たり前すぎることを「面白い」と言い続けていきたい。

なだらかに裾野が広がる赤城山(あかぎさん)、その姿が富士山のように美しいので“榛名富士”とも呼ばれる榛名山(はるなさん)、そしてゴツゴツとした岩肌がユニークな妙義山(みょうぎさん)。

この「上毛三山」に囲まれた群馬県民にとって、雪雲を留めた山から吹きおりてくる氷のように冷たい「からっ風」がないと冬だという気がしないといいます。
群馬のあたりでは、「かかあ天下とからっ風」というように、強い女性とからっ風が地域自慢になっています。



前橋市にあるスペシャルティコーヒーの専門店「13 COFFEE ROASTERS」には、この上毛三山の名前がついたブレンドがあります。オーナーの櫻井喜明さんにお話をうかがったところ、“地元ブレンド”への思いを次のようにお話してくれました。

「前橋で生まれ育った私も含め、群馬の人たちの多くは、学校で上毛三山を使った『団分け』を経験します。普通は運動会などで紅組と白組に分けられたりしますよね。それを群馬では、山の名前でチーム分けするんです。『赤城、榛名、妙義』のコーヒーブレンドが並んでいるのを見たら、群馬県民は、ちょっとなつかしいというか、クスッとくるんじゃないでしょうか。」



赤城山の長い裾野のように、口の中に甘い香りが続く、余韻を楽しむ「AKAGI」。榛名山のように華やかな、爽やかな香りのコーヒー豆を使った「HARUNA」。妙義山の岩肌を思わせる、力強いコクと苦味のある、大人な味の「MYOUGI」

「私は赤ハチマキの赤城団でした。」という櫻井さん。2017年に「13 COFFEE ROASTERS」を始めたのですが、その一方で、20代で上京してから今もずっと東京で広告写真制作の仕事をしています。

Uターンではなく、東京を拠点としながら地元・前橋で「13 COFFEE ROASTERS」を運営することの面白さを櫻井さんは次のように言いました。

「私のいる広告の世界は作ったものが広く告知されます。ゆえに、その広告が一人一人にどう伝わったのか、なかなか実感することは難しいです。反対にカウンター越しのコーヒー店の世界は、目の前の人に自分が作ったものを伝える事ができますよね。」

「“広く、狭く”を繰り返さないと全体が見えてこない。それはデッサンの描き方、物の作り方と似ています。どちらの見方も持っていた方が、きっとよいものが見えると信じています。『13 COFFEE ROASTERS』では、地元の人には当たり前すぎることでも、ちょっと距離を置いた私からは面白いと思うことを、再定義したい。」

▼ 酸っぱいのがコーヒー豆の個性。ケニアなんかはすごいトマトっぽい感じがあります。



「13 COFFEE ROASTERS」を始める前から、南青山にオフィスを構え、フォトクリエイティブを中心とした制作会社「Ristretto株式会社」を運営してきた櫻井喜明さん。群馬にいた頃は毎日見守られていた山々が、東京にいるとすごく遠い。

上京する前の櫻井さんは、高崎市にある専門学校でデザイン関係の講師をしていました。そのビルの中に、アートやデザインなどが好きな人たちが集まるカフェがあったのだそうです。

専門学校で一緒に働いていた高校時代の同級生と、平日休日問わずそのカフェに通い、アート関係の知り合いができたり、櫻井さんの初めての個展をそのカフェで開いたり…。そうするうちに、櫻井さんとその同級生は「いつかこんな店をやりたい」と同じ夢を持つようになっていったそうです。

それまで、産地の標高や豆の大きさでランク付けされていたコーヒーが、その品質で採点されるようになってスペシャルティコーヒーが生まれる。「13 COFFEE ROASTERS」では、異なる生産者の豆を毎月のように仕入れ、オランダ製の最新の焙煎機で少量ずつ焙煎し、鮮度のいいコーヒーを淹れる。

とはいえ当時の櫻井さんは、コーヒーそのものには全くといっていいほど興味がなかったのだとか…。

しかし、上京して三軒茶屋で暮らすようになり、家の近くにオープンしたスペシャルティコーヒーのお店で「ケニア」を飲んで、そのコーヒーの風味に衝撃を受けたのだそうです。そのときのことを櫻井さんは次のように思い起こしていました。

「それまでのコーヒーのイメージは、“黒い苦い飲み物もの”だったんです。そのコーヒーにこんなフルーティな個性があったのかと…。」



コーヒー豆も野菜と同じ農作物。極力劣化を抑えるために生豆セラーで保存する。品質の良い新鮮な豆にはイチゴやシトラス、あるいはトマトなどを思わせる良い酸味がある。豆の個性とも言えるその酸味を味わうのが、スペシャルティコーヒーの醍醐味。

「コーヒーに一気にのめり込み、いろんなコーヒー豆を買い、食器も、各メーカーの抽出器も、エスプレッソマシンも揃えました。初めてコーヒーの美味しさに気づいてから5年、ついにプロ用の小型焙煎機まで手に入れまして、仕事が終わった後の深夜、家に帰っては豆を焙煎するようになりました。」

ぼんやりとしていた“コーヒーの店”のかたちが次第に具体的になり、高崎で同級生と「一緒に店をやろう」と約束を交わしてから13年目、櫻井さんたちは「13 COFFEE ROASTERS」というスペシャルティコーヒーの専門店を地元・前橋にオープンさせたのでした。

▼ コーヒーを媒体とすれば、“広く、狭く”、人が出会うことができる。



「群馬出身で、なおかつ広い世界で活躍している人にお店作りに関わって欲しい。」

櫻井さんたちは、お店のロゴマークやコーヒー豆のパッケージデザインを前橋出身のアートディレクターに頼み、そして、ある時は豆腐屋、またある時はデザイン事務所と形を変えながら増改築を繰り返してきた物件は、群馬出身の若手建築家によってリノベーションされました。

そして現在、「13 COFFEE ROASTERS」の店頭には、長く地元で愛されてきた「ふらんす市場」の洋菓子や、若い勢いのある前橋の「Sweets Shop Yoshida」のお菓子が並んでいます。

前橋の人たちにコーヒーの魅力を伝えるとともに、地元縁のクリエイターや学生に発表の場などを提供する次のアップデートをいつも視野に入れている…。そんな櫻井さんは“広く、狭く”のアイデアのもと、この先を次のように思い描いているそうです。

「よくないのは、その地域だけで固まって外からの情報を入れない、知らないことだと思うんですね。私たちはこれからも全国各地やコーヒー生産国などの海外に行き続け、そこで得たこと、遠くから地元を見て面白いと感じたことを自分たちのフィルターを通し、この場所で提案し続けるつもりです。」

「いまはまだ、ただのスペシャルティコーヒー専門店かもしれないですが、この店はコーヒーを媒体に様々な人々が出会う、前橋のコミュニティハブでありたい。」



▼ 「13 COFFEE ROASTERS」は、コーヒーを介して、広く、狭く、様々な人々の出会うハブでありたい。

その昔、イギリスのコーヒーハウスは、1ペニー(現在の価値に直して700円程度)を払えば、政治家や文化人、商人にジャーナリストなど貴賤貧富を問わず入店でき、そこに集まるいろいろな情報を得ることができたために「ペニー・ユニバーシティー」と呼ばれたといいます。

地元・前橋の人にとって、その存在が誇りとなっている上毛三山。その山々のイメージのブレンドが、エチオピアやニカラグアなど、地図上でしか知らないような国の人がつくった豆からできている…。

取材をしながら、思わずGoogle Earthでニカラグアに行ってしまいましたが、実際にコーヒーそのものがハブとなり、世界を感じるような広い視点と、身近にあった地域の魅力を発見するような狭い視点が行き来するような気持ちになりました。

「まずはスタートラインに立てたと思っています。」と櫻井さんが言うのは、地元は面白い、世界は面白いと叫ぶ人が、日本の真ん中とも言われるこの群馬県で、コーヒーを介してこれからもっとつながるようになるということなのかもしれません。

【取材協力】

◼「13 COFFEE ROASTERS」FMぐんま、すぐそば。中央前橋駅から徒歩10分。


著者:関希実子 2019/1/23 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。