ラーメン屋で毎月DJパーティーが行われる町、柳瀬川「町の福祉としてのパーティーは、多様なコミュニティのハブになる」

昭和50年代に開発された大規模集合住宅「志木ニュータウン」の建設に合わせて設置された柳瀬川駅。

この駅には準急と各停しか止まりませんし、駅前には歓楽街と呼べるエリアもないため、この町は郊外によくある「帰ってきて寝るだけの町」のように見えます。

しかし、そんな柳瀬川では地元のラーメン屋を舞台に老若男女が集まる「柳瀬川ブロックパーティー」が毎月開かれ、町の福祉としてのクラブカルチャーが根付き始めているようです。

今回は柳瀬川ブロックパーティーのDJ、阿保和博(あぼ かずひろ)さんに話を伺いました。

柳瀬川ブロックパーティーのDJを務める阿保さん。いわゆる深夜に活動する一般的なクラブDJとしての活動の他にも、マーケットや幼稚園でのDJ活動、DJ教室の開校など、その活動範囲は幅広い

「いまの日本は文化自体が首都圏を中心として、中央集権的です。インターネットやスマホの時代になっても、文化資産への物理的なアクセスのしやすさは圧倒的に都会に分があります。でも、日本の8割は郊外なんです」

「東京の地価が上がりすぎたこともあって、面白いことをやっている人たちが郊外に住み始めています。だから郊外には面白いものが生まれる土壌があるんですよ。でも、そういう人たちが出会う場所がないから文化が生まれない。だから地域に集まる拠点みたいな場所が必要で、パーティーがその役割を担ってくれると考えています」

▼ 何でも検索できる時代に、検索では見つけられないものが見つかる柳瀬川ブロックパーティー



そもそも阿保さんが柳瀬川でブロックパーティーを始めた理由のひとつは、町の中に子育て世代のための場所がなかったからだと言います。

「柳瀬川には僕のような30代の子育て世代がたくさん住んでいるのですが、これまでは全く横の繋がりがありませんでした。正確に言うと、同世代が集まる場所と言うよりは、『あっ、こんな人が近所にいたんだ』と認知する機会がなかったのです」

「これまで柳瀬川は帰ってきて寝るだけの町だった。でも、互いの存在を認知するようになると、次第にコミュニティのようなものができて、そこから町に対する愛着が生まれてくるのだと思います。結局、場所に対する愛着というものは、人からしか生まれないんです」



柳瀬川ブロックパーティーを「文化との出会いの場」と捉えている阿保さんは、地域の人たちが人や音楽に偶発的に出会うような、そんな場所を作ることが大切だと語っていました。

ところが近年は、人や音楽と偶然の出会いをする機会が極端に少なくなってきていて、その原因をこう話します。

「今はインプットがノイズレスになっています。例えば、まだまだメディアの中で雑誌が強かった時代というのは、何か自分が興味がある特集が載っている雑誌を買ってきたら、興味ないページもとりあえず読むんですね。そうすると、自分が全く存在を認識していなかったものに出会う。そういうものが後の人生に与える影響は計り知れないのです」

「現代のように、検索ベースで自分が欲しいものを検索して、求めたものがきちんと得られるというシステムは、すごく洗練されていると思います。でも、そこにノイズはありません。もしくは人生の栄養になるような『豊かな無駄』が乏しいのです。今はそのノイズが削られているんです」

「誰が何に影響されるかとか、何と出会って人生が変わるかなんて、分からないんです。だから、ノイズがある場所を意図的につくって、『事故』が起きる環境を作ろうと思ったんです」

「今は何でも『要するに』の時代です。みんな、まとめたがるんですよ。でも、まとめるってことはどこかの味が抜け落ちていることを意味します。だから、あえてマーケティングをしないことで、色んなものが落ちている場所を作っているんです」

▼ 理解できないものを、理解できないまま受け入れる心構えが出来ていれば、異文化の人に優しくなれる



柳瀬川ブロックパーティーでは、歌って踊る人、全く踊らない人、音楽そっちのけで会話に夢中になる人、ラーメンをすする人、お酒を飲んでいる人など、参加者が向いている方向はバラバラで、唯一の共通点は全員が同じ空間を共有していることだけです。

そのため、初めて参加する人は、このパーティーが何を目的に開かれ、自分はどう振る舞えばよいのか分からず、戸惑ってしまうかもしれません。

しかし阿保さんは、こうした「分からない要素」を意図的に、柳瀬川ブロックパーティーに取り入れていると言います。

パーティーの舞台となっているラーメン屋「麺や まつ本」は評判が高く、昼時に訪れた際は満席でした。

「僕はブロックパーティーの中に『よく分からない』ヘンテコな要素をたくさん入れているんです。説明を求められても説明しないし、論理的じゃない部分をたくさん残しておきたい。それは、分からないものを分からないまま受け入れる心構えが出来ていればいるほど、『異文化の人に優しくなれる』からなんです」

「なぜ人が不寛容になるかと言えば、理解できないからです。そして、みんな必要以上に『理解出来なければならない=理解できないということは自分が劣っているのかもしれない』と感じているのかもしれません。だから人は自分が理解できないものは、自分が分かる形に矯正しようとしたり、排除したりするのです」

「僕は、『町の福祉』としてのパーティー文化を柳瀬川に根付かせたいんです。多様なコミュニティのハブになりうるのがブロックパーティーなんです。町には本当にいろんな人が住んでいる。だから、誰もが受け入れられる場所を作るという意味でも、『分からない』という要素はなくてはならないと思います」

▼ 理解できないものを受け入れるためには、まずは「自分自身」を受け入れなければならない

「麺や まつ本」の入り口に設置されている券売機。ラーメンやお酒のメニューに並んで「入場券」の文字が

確かに、分からないものを分からないまま受け入れることができれば、マウントを取ったり、排他的にならずに済むのかもしれません。

では、分からないものを分からないまま受け入れるには一体どうすれば良いのでしょうか。阿保さんはそのことに関して、相手を受け入れるためには、まずは自分を受け入れることが大切になると話します。

「自分が理解できないものに遭遇したら、この感覚は何なんだろうと解き明かしていきます。そのためには、自分の言葉で、借り物ではない言葉で表現することが大切です。借り物の言葉で表現すると、自分が感じたものを正しく表現することができなくなる」

「例えば、影響力の強い人がある映画の感想を述べたら、次の日から今まで声を発しなかった世の中の多くの人がその人と同じ感想を述べ始め、世間的な作品の評価が固まったりすることがあります」

「でもそれは本当に自分が作品を鑑賞した時に感じた気持ちと寸分違わぬ感想なのでしょうか?また、そもそも世の中的な評価が固まってからしか意見を言えない人も少なくないです。レビューに書かれている言葉ではなく、自分の言葉で話す。そうすると、自分と他者がまったく違う人間であることが分かります」

「そして、他者との違いを誇れば良い。人は自分の中に誇りがないと、外側に誇りを求めて、誇らしげな何かと自分を同一化させようとします」

「例えば、ある日本人がノーベル賞を受賞したら、『日本人すごい』と言って、自分を彼らと同一化させようとする人もいます。そして、自分のプライドを維持するために、他国の人間を蔑んだりする。でも、自分に誇りがあればそんなことしなくても良いのです」



こうした考えのもと、ラーメン屋を舞台とした「町の福祉」としてのパーティー文化が根付きつつある柳瀬川ですが、阿保さんは、文化とは高尚なものではなく、もっと生活の営みに近いものだと言います。

その意味では、東京のど真ん中ではなく、日々の生活を営む柳瀬川のような町でこうした動きが活発化することに大きな意味があるはずです。


【取材協力】

◼柳瀬川ブロックパーティーDJ/阿保和博

【アクセス】

◼麺や まつ本/埼玉県志木市館2丁目7−6


著者:高橋将人 2019/2/4 (執筆当時の情報に基づいています)
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