半径500メートルに7つの劇場が集まる下北沢は、外装よりも内装を、コマーシャルよりもコンテンツを愛する街。

新宿から小田急線に乗って、およそ10分。初めて下北沢を訪れる人は、改札を出てすぐ目の前に広がっているアンダーグラウンドな雰囲気に圧倒されることでしょう。

ジャンルを問わず個性的な店舗の数々が入り乱れるように立ち並んでいる下北沢は「若者の街」や「ファッションの街」としてテレビや雑誌などでもよく取り上げられていますが、多くの劇場が存在する「演劇の街」としても有名です。

なんでも駅から半径500メートル以内に7つの小劇場が集まっている地域は日本全国探しても下北沢だけで、現在も365日休むことなく必ずどこかの劇場で演劇が上演されています。



そんな演劇の街、下北沢には「観劇三昧」という名前の観劇グッズ専門店があり、有名な老舗劇団から新進気鋭の若手劇団まで300以上の劇団のDVDに台本、Tシャツやパンフレットといったグッズが並ぶ店内はまさに圧巻です。

こちらのお店は「演劇が音楽や映画と同じく、当たり前のように生活の中に溢れ、心が豊かになる社会へ」という理念のもと運営されているのですが、今回は下北沢店で店長を務める川本直人さんと営業担当の黒澤世莉さんにお話をお伺いしました。

▼ 既存の価値観に寄りかからずに中身で勝負する下北沢。



「池袋や新宿といった大きな街では、やはり大きい劇場もたくさんあって、そこに多くのお客さんが集まります。でも、そこでは下北沢のような暗がりとともにあるような演劇はなかなか上演されません。池袋の東京芸術劇場で上演される演劇作品と、下北沢の駅前劇場で上演される作品ではやはりなにか違うんです」

今の仕事に就く前は都内の劇場でも働いたことのあるという川本さんは、下北沢で演じられている作品をそのように語ります。

「下北沢で上演される演劇は『他の大きな劇場で上演される華やかな演劇と比べて、演劇の根源的な魅力にあふれている』と個人的には感じています」



下北沢の小劇場で上演されるような種類の演劇は現代演劇と呼ばれ、文学的、実験的な作品が多くあります。

大きな劇場で上演されるような作品とは異なり、下北沢で上演されている広告ビラのコピーは、文学的な言葉ではぐらかされていて、中身は実際に足を運んでみないと分からないものばかりです。

「タイトルで内容が分かって演出を楽しめるような作品とは違って、良くも悪くも実際に見るまでどんな作品か分からない。下北沢で上演されるような演劇は、完全に中身で勝負する演劇です」

観劇三昧 下北沢店の店内で販売されている演劇グッズ

「そういう意味だと下北沢は演劇だけでなく、街自体も中身で勝負しているところもありますね。外見がきらびやかっていうよりも、小さくこじんまりとしたお店に入っていろいろ探しながら、気づくとどんどん深いところに入っているようなイメージがあります」

渋谷や新宿などのお店であれば、店の入り口にある大きく目立つ広告や、呼び込みの店員さんが店の前に立っているのに対して、下北沢では呼び込みをしているお店はほとんどありません。

代わりに下北沢の商店街にあるお店のほとんどは、店の入り口を開きっぱなしにしているのです。雑貨屋、居酒屋、本屋、ペットショップ、どのお店も入り口を開放していて、お客さんは外からお店の中身をのぞき込んで興味をもったお店の中に入っていきます。

そうやってどのお店にもたくさんのお客さんで賑わっているところを見ると、どのお店も一筋縄ではいかないような個性を持っていて、街に訪れる人々はそれを自然と感じ取っているのではないでしょうか。



「若者の街と呼ばれるだけあって地域の人たちも新しい取り組みに寛容で、2018年の2月にはお店の前の路上を封鎖して、野外演劇を行うイベントを開催したことがあるんですが、とても温かく迎えてくれました」

「下北沢には劇場もそうですけどライブハウスなんかもたくさんあります。そして古着屋さんもたくさんあるのでここにいる人はちょっとおしゃれなものにもアンテナが高いです」

「うちのお客さんでも『なんとなく興味はあるんだけど、演劇を見たことがなくて。何か分かるものがありますか?』と言ってお店に来られる方がいたりと、ここには文化的なものがすごくラフに置かれているという感じがします」

「下北沢カレーフェスティバル2018」では公認キャラクターのカレーまんがラップを披露

カレーフェスティバルと同日に行われた路上演劇祭の様子(出演:おしゃれ紳士)

いくつもある劇場が街のシンボルとなっている下北沢は、そこで上演される演劇作品のように、この街に元々いる人もそうですし、新しく来る人も既存の価値観に寄りかからない雰囲気を秘めた街であると言えるのかもしれません。

そう言った意味では劇場があったから、今のこの下北沢の雰囲気があると言っても過言ではないのではないでしょうか。

▼ 演劇に大事なのはライブ感。平成になることを拒んだ下北沢には、街の中にもライブ感が溢れている。



「下北沢という街で演劇というものが生きてきた理由はたくさんあると思うんですけど、下北沢ってあんまり21世紀的な街じゃないんじゃないかなと思うんですよ」

そう語る黒澤さんは、下北沢の道路の狭さや入り組んだ路地、さらには自動車や自転車が通ろうとしていても歩行者は知らんぷりしている様子がとても昭和的だと話します。

下北沢には高層ビルや主張の強い外装の建築物が非常に少ないのですが、戦後、急速に土地開発が進められた結果、幅が狭く入り組んだ路地が溢れ、大きな土地が確保できないことから建物も自然と小さくなりました。

敷地が狭いということは、土地を賃貸するのにかかるお金が少なくて済むため、お店側は土地代ではなくお店の中身に投資することができ、結果として下北沢には一筋縄ではいかないような個性溢れるお店が数多く存在しているようです。



一時期下北沢では狭い道路を拡張しようという動きもあったのですが、住人の強い反対の元にたち消えてしまったそうで、それはまるで平成になることを拒んだ街のように見えるとして、黒澤さんは次のように語っています。

「メディアの進化が一周して、音楽、映画、テレビなどコピーができるメディアから、インターネットに完全に時代が移行してしまった。メディアで鑑賞するコンテンツの価値が価格的にはゼロに近づき、量的には飽和している。そんな状況を踏まえて、スポーツ観戦やアーティストのライブなど、生のコンテンツが力を持つと至る所で言われるようになりましたが、演劇はその最たるものですよね」

「平成になることを拒んだ下北沢の街が、その代わりに育んできたものがあるからこそ演劇もこんな風に生き残ってこれたんです」

観劇三昧店内で行われた舞台「手の平」公開稽古の様子(出演:劇団ユニット「かわいいコンビニ店員飯田さん」)

なぜ、下北沢の人々の間に表面的なことよりも中身を大事にする気質が根付いているのかと考えると、街の中心的な存在である小劇場の影響を考えずにはいられません。

下北沢で上演される多くの演劇の「広告コピーよりもその作品の中身を重視する姿勢」を感じて、演劇を愛する人々がこの場所に集まり、長い時間が過ぎる中で、下北沢という街には次第にものごとの表層よりも内実を重視する文化が醸成されていったのではないでしょうか。

下北沢では、一筋縄ではいかない、物事の本質に触れることを好む人々が今日も静かにコーヒーを飲んでいます。

【取材協力】

■ 観劇三昧 下北沢店/店長 川本直人さん

■ 観劇三昧 下北沢店/営業 黒澤世莉さん

■ アクセス/東京都世田谷区北沢2-9-2 ZIP155ビル 2F(京王電鉄・小田急電鉄 下北沢駅東口から徒歩2分)


著者:天野盛介・永渕弘真 2019/2/22 (執筆当時の情報に基づいています)
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