「書く」という行為は、自分とのコミュニケーション。蔵前で「世界に一冊のノート」を売るカキモリ。

東京都台東区、隅田川の右岸に位置する蔵前は、全国から職人やクリエイターが集う「ものづくりのまち」としてここ数年、話題になっています。

江戸時代から日本の流通業の中心的役割を担い、工場などが多くあたった蔵前に、近年ではおしゃれな工房やアトリエが次々と出店をはじめているんです。

そんな新旧のものづくりが融合した蔵前のまちに、「カキモリ」という文具店があります。2010年に蔵前に店を構えて以来、世界に一冊のオーダーメイトノートを製作するなどして、人気を博している全く新しい文具店です。

白と茶色を貴重とした店内。色の敷かれた箇所は、色鉛筆をイメージしたもの。

百貨店ではショーケースに入っていることが多い万年筆も、自由に手に取り試し書きができる。

カキモリは、デジタル化していく社会のなかで文字を「打つ」ことになれた現代人に、文字を「書く」楽しさを思い出してもらおうと、そのきっかけづくりに日々奔走しています。

表紙、中紙、リングの色、留め具と、ひとつひとつ自分で選べるノート製作を中心として、他にもオーダーメイドインクなど、普段何気なく購入している文房具に愛着を持ってもらうための、たくさんの仕掛けが施されているんです。

▼ 手書きは筆者の「温度」を伝える。筆跡や文字の色、筆圧、すべてが感情を表現する手段



インターネット販売に傾く文具業界の流れに乗るのではなく、あえて「紙」に重きを置いたのには、カキモリを営む広瀬琢磨さんの「手書き」への想いがありました。広瀬さんは、そのこだわりについて語ってくれました。

「文字を『打つ』もの、たとえばパソコンとかスマホは、ネットを通して外の世界と繋がっていますよね。でも紙というのは、筆を持つその人自身としか接続されていない。だから『書く』という行為は、貴重な内観の時間であって、自分とのコミュニケーションの場なんです」

「筆跡や文字の色、筆圧というのは、書き手の雰囲気がこもっています。電子上の字や絵文字では表せない、とても細かい感情が表現できる。だからその文字の受け手は、紙を開いたとき、そこに閉じ込められた空気を、その温度のまま感じることができるんですよ」

「日々はオンラインでいいけど、節目節目で手書きをしてみてほしい」と語る代表の広瀬琢磨さん。

広瀬さんのこうした考え方もあって、店内のほとんどの文房具にはスタッフ手書きのポップが付いているんです。色も字体も異なる紹介文が並び、たとえば「万年筆」のような、人によっては馴染みの薄い文房具にも、親近感が湧くようになっています。

また、文字だけでなく「紙」も、書き手の温度を伝達する役割を果たしているという広瀬さんの考えから、ノートだけで見ても、中紙で30種類、表紙で60種類ほど並んでいるカキモリ 。

書棚いっぱいに並ぶ中紙や表紙には、一つ一つ丁寧な解説が付いている。

万年筆も、1本1本に手書きのポップが付けられている。

最近では、「書く」という行為の楽しさをより実感してもらうために、併設するアトリエでワークショップを開くこともあると、広瀬さんは話します。

「先日は、参加者にその場で書いてもらった親しい人への手紙を、さらに絵に起こしてもらうというイベントを開催したんです。デザイナーの方を呼んで、文字から絵に移す過程を教えてもらい、『文字』の持つ可能性を多くの方に感じてもらいました」

カキモリには、リピーターのお客さんが多いと言います。一度つくったノートの中身は、なくなれば交換可能。使い終わったノートを持っていけば、中紙をその場で替えてくれるそうです。このように、紙には「消費」という概念があるからこそ、愛着が持てる媒体なのかもしれません。

▼ 商人のまちだからこそ、競わない。蔵前は、互いの知恵で支え合う小さな経済圏



これまで地道に、現代人と「手書き」の接点をつくってきたカキモリ。駅から徒歩10分、人通りも少なく回遊客も見当たらない立地にあるにもかかわらず、次々とお客さんが来店します。そのなかには、時おり地元民住民の姿も見られます。

蔵前に住む多くの人が、オーダーメイドノートを購入していくのだそうですが、その理由について広瀬さんはこう語ります。

「友人への贈り物として、文房具をプレゼントするというのが、ここ数年で蔵前に広まったように思えます。これまでは、浅草のお菓子などがメインになっていたのですが、それと同様に文房具、とくにノートというのは、渡しやすいのかもしれないですね」

ノートの製本は、カウンター越しに目の前で行われる。

「ほかにも、PTAの方が小学校に新たに入学するお子さんのために、ノートを購入してくれたりすることもあって、蔵前のまちに徐々に浸透しているような気がします。ありがたいことに、地元の方たちがカキモリを知らない人に広めてくれるんです」

このように、徐々に蔵前に根付いてきたカキモリ。今では、蔵前の各店舗を地図にまとめた「散策マップ」を製作するほど、地域のなかで存在感を示しています。商人のまちだからこそ、競り合うのではなく、お互いに店を紹介しあうような関係性なんだそうです。

「今後は道具の使い方までプロデュースしたい」と話す広瀬さん。

カキモリが出店した2010年、SNSがまだ黎明期だった頃から考えると、この10年弱のあいだに私たちは、さらに「手書き」とのあいだに距離が生まれました。

SNSでリンクをシェアしたり、「いいね!」を押したり、1クリックで想いを伝えられる時代だからこそ、文字を「書く」時間を意識的にとっていく必要があるのかもしれません。最後に広瀬さんは、次のように話しました。

「手書きで伝えるというと、切手を貼って郵送で送るあの『手紙』をイメージする方も多いですが、そこまで大袈裟でなくてもいいんです。店内にあるポップも、付箋でのメモも、紙の余白に書いた走り書きも、すべて自分や他者への『手紙』です。目まぐるしく動くデジタル時代の流れに乗っかるのが疲れたら、息抜きのように、自身の手でなにか書いてみてほしいと思いますね」

「たのしく、書く人。」がモットーのカキモリ 。外からはクリアガラス越しに、店内が覗ける。

広瀬さん自身もときに時代のスピードに呑まれ、気づかないうちに疲弊していることがあるそうで、意識的にカフェなどで30分ほど紙と向き合う時間をつくって、心を休めていると言います。

隅田川が静かに流れる蔵前のまちで、日頃の疲れを癒し、日々忘れがちな「書く」という行為と向き合ってみるのもいいかもしれません。


【取材協力】

カキモリ/株式会社ほたか 代表取締役 広瀬 琢磨


【アクセス】

東京都台東区三筋1-6-2

浅草線蔵前駅A1出口より徒歩8分


著者:清水翔太 2019/3/19 (執筆当時の情報に基づいています)
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