「ここに来れば、なんとかなる」と“よそ者”が集まる大都会、池袋。なんとかならなかった人も“この街の人”になれる、優しい街にしたい。
駅から一歩も出ずに用事が済んでしまうことから「駅袋」とも言われていた池袋。
これからオリンピックに向けて、駅周りにあった3つの公園が整備され、さらにサンシャイン劇場の隣に新しく区内最大の公園が誕生し、この4つの公園を中心に「公園が街を変える」取り組みがスタートしています。
「池袋ウエストゲートパーク」のロケ地となり、ギャングのイメージを広めることとなった池袋西口公園は今、“劇場広場”として生まれ変わりつつある
池袋の公園がピカピカに変わっていく傍、まだ昔の名残のある東池袋中央公園で炊き出しなどを行い、ホームレスの人たちを支援しているのがNPO法人「TENOHASI」です。
TENOHASIが行っている月に2回の炊き出しでは、料理を配るだけではなく、洋服などの配布や、ホームレスの人たちからの医療相談・生活相談も受け付けており、手伝いに訪れるボランティアの数は総勢70名。毎回、200名以上のホームレスの人たちが集まります。
▼ 貧困・虐待・ネグレクト…生育歴のマイナスを抱えた若者たちが社会に出てホームレスになっていく。
リーマンショックの頃は「TENOHASI」の炊き出しに450人を超えるホームレスが集まったこともあった。人が集まりすぎたことや公園の再開発で南池袋公園が使えなくなってしまったので、現在は「サンシャイン60」の隣にある東池袋中央公園で炊き出しをしている。
TENOHASI事務局長の清野賢司(せいの けんじ)さんにお話をうかがったところ、 池袋には今、10年以上路上で生活をしているようなベテランだけではなく、路上で寝ることはできずに街をさまよっている若いホームレスの人も多くいるのだそうです。清野さんは次のように言います。
「20代の人は路上では寝ないですよね。夜はひたすら歩き回るとか、マクドナルドやサイゼリアにいるとか。そこでうとうとして、昼間は公園でうとうとして、そうやって細切れの睡眠をとって。どうにかバイトをしてお金が入ったら夜はネットカフェで寝るというパターンが多いです。」
もはやブルーシートやダンボールハウスでホームレスの人たちを探すのは時代遅れなほどホームレスの人たちのスタイルが変わりつつあります。支援をしたくても、支援を必要としている行き場のない人たちが自分から炊き出しにきてくれなければこちらから手を伸ばすのは難しそうですが、清野さんたちはどのようにして彼らを見つけ出しているのでしょう。
そこには、毎週水曜日の夜に手作りのおにぎりやパンを配りに池袋の街を歩く、TENOHASIの「夜回り」の活動が関係しています。
「靴である程度わかります。靴の汚れ具合、磨り減り具合ですね。服は炊き出しで手に入るんですけど、靴はなかなか手に入らないですから。セーターは古くなったから寄付しようってなりますが、靴は普通履き潰すじゃないですか。」
「しかもホームレスの人たちはお金を稼ぐためにアルミ缶を集めたりしますし、夜通し歩いていたりもするので靴がボロボロになるんです。夜回りのときにそういう人がいたら、『失礼ですが、おにぎりいかがですか?』って話しかけるんですね。」
TENOHASI事務局長の清野賢司さん「路上生活をしている年配の人は景気のよかった若い頃、飲む打つを散々やっていたりするんですよ。だから、『ま、あんたも頑張ったよね』っていう、やりきった感があるんですけどね…」
清野さんたちがこうして声をかけて話を聞いていくうちに、若いホームレスの人たちほど心身に何か病気や障害を抱えていることがわかってきたのだそうです。清野さんは次のように言葉を続けます。
「バブルが崩壊した後のロストジェネレーションあたりから、頑張って派遣労働とかやっていたんだけど途中で心を病んでしまって、または体をおかしくして力尽きたっていう相談を受けることが非常に多いです。」
「この人普通だな、と思っても掘り下げていくと、そもそも家が貧困だ、学校もろくに行けていない、あるいは虐待されていた…。それで社会に出て上司から叱責されても、受けるショックの大きさが違うんですよ。『この会社は無理』といって辞めて派遣労働になり、心身を病んでいく。働けなくなって頼るあてもなく路上に出てしまう。生育歴のマイナスとそこからくるマイナスがスパイラルになっていくんです。」
実際、TENOHASIが池袋を中心にホームレスおよそ160人に対して行った調査では、4割に精神疾患の疑いがあり、3割に知的障害の疑いがあることがわかったのだそうです。
ここで問題なのは、うつ病などの心の病や、発達障害などを抱えて住まいを失った人たちが、なんとか暮らしを立て直そうと生活保護を申請しても大きなハードルが待っていることです。
ホームレスの人が生活保護を申請すると、「きちんとした暮らしができるのかどうか」の確認が必要だという理由で、同じように住まいを失った生活保護の見知らぬ人たちと狭い部屋で生活を共にする施設に送られるのですが、心を病んでいたり障害を持っている人たちはその環境のストレスに耐えることができません。
結果的に、施設から逃げ出して路上に戻ってくる、またしばらくして生活保護に再チャレンジしても路上に戻ってしまう、というループにはまっている人がたくさんいるのだそうです。
▼ 「一人暮らしができるかどうか」のテストなんてなくていい。ただ、帰ってホッとできる自分の家が欲しい。
過去にはTENOHASIでも、豊島区内で家を借りて「ビッグイシュー」を売りながらみんなで暮らすシェアハウスなどにトライしたりもしたものの、なかなかうまくいかずにいたそうです。
そこで2010年、TENOHASIを中心に、障害を抱えた人たちの団体や国際NGOも集まり、ホームレス状態の人たちにどういう支援をしたら路上から脱出できるのかという課題に取り組むプロジェクトがスタートしました。
試行錯誤の末たどり着いた答えは、「まず必要なのは、期限つきでなく、共同生活ではなく、毎日帰ってきてホッとできる自分だけの住まい」=“ハウジングファースト”だということでした。
ハウジングファーストで受ける支援ステップは、「まず一人暮らしのアパートに入る→福祉の支援につながる→その後も就労支援や介護支援につながる」。これまでゴールだった「一人暮らしのアパートに入る」が一番先になりました。
今、長期にホームレス状態にある人たちの多くは過去に生活保護を受ける過程で挫折して路上に戻った経験がありますが、ハウジングファーストによってアパートに入ることができた場合は、8~9割がアパート生活を維持できているそうです。清野さんは次のように言います。
「アパート暮らしを始めると、最初は眠れないんです。ダンボールで寝るのに慣れてたのが、足は広げられるし、不安になっちゃうらしいですよ。でも慣れてくると路上で寝ていたのとは疲れの取れ方が違う。夜明けと同時にダンボールを片付けないといけなかったのに、今は寝ていられる。『寝てていいんだ』と思うとすごく安心するんですって。気持ちよく寝られる自分の家は、健康にいいと言っていますよ。」
「『一人暮らしが出来るかどうか、集団生活の施設で様子を見させて貰います』とお役所は言いますが、『金銭管理が出来るか』『ゴミ屋敷にしてしまわないか』『隣近所とうまくやっていけるか』とかは実際にアパートに住んでみた方がわかるでしょうし、本人も努力しますよね。それでダメだったら仕方がないですけど、それもやらないで決していい環境とは言えない施設に入れるのが今の行政のシステムです。しかも施設では入居者にお金の管理をさせないですし、ゴミも出してもらえるんですよ。」
TENOHASIが昨年、池袋西口公園で野宿していた路上生活歴10年以上というベテラン5人グループに「アパートがあるんですけど、入りたいですか?」と尋ねてみたところ、全員が入居を希望されたそうです。
5人はTENOHASIが管理するアパートに順次入居し、スムーズに路上生活からの脱出を果たしました。そのうち3人は福祉事務所から「一人暮らし可能」と認められ、すでにご自分で選んだアパートに移って暮らしています。
そしてTENOHASIには今や、役所や福祉事務所の方から路上生活者のことで相談が寄せられてくるようになっています。
▼ 知り合いの家、ネットカフェ、施設の中…。日本にいる見えないホームレスの数は推定30万人。
今、TENOHASIの炊き出しや夜回りの活動で、中心的な役割をしているのはTENOHASIの支援によってホームレスから脱した元ホームレスの人たち。
TENOHASIの支援でアパートに入った人たちの中には、障害がありながらも自分にあった仕事を見つけて月に8万円くらいの収入を得るようになり、生活保護で支給される額をアパート暮らしを始めた当初の半分以下に減らすことができた人もいます。
「宝くじでも当たったらみんながアパートに入れるんですけどね。」と笑う清野さん。今は行政に対して、ハウジングファーストがみんなが暮らしやすい街への最も効果的な方法であることを示そうと、支援を受けた人たちをフォローしていると述べていました。
アメリカやフィンランドでも、ハウジングファーストの取り組みで慢性的なホームレスの人たちがその状態から脱することができたとして報告され、イングランドでは政府がハウジングファースト型の取り組みを実施するための予算を確保したといいます。
オリンピックまでに居場所を失う人の数はどのくらいになるのでしょう。
どんどんピカピカに塗りつぶされていく東京で、「ホームレスの人を排除する街というのは、都市工学的にどうなのか?」「誰もが住みやすい街というのはどういう街なのだろうか?」と問題提起している人たちもいます。
例えば、東京工業大学の学生たちのつくった”ARCH”という団体は、実際に路上で過ごしている人が何人居るのかを調べるために深夜に街をくまなく歩いてカウントする「東京ストリートカウント」という活動をここ数年、年2回のペースで継続的に行っています。
住まいを公的に補助する意識が低い日本では、公営住宅やUR賃貸住宅、公社住宅などを含む公的な賃貸住宅のストック数の住宅全体に占める割合が、イギリスやフランスの半分にも届かないそうです。
清野さんは、ハウジングファーストでアパートに入った元ホームレスの人たちを介して、この池袋の街が優しい街になっていったらいいとして次のように言いました。
「ヒト、モノ、カネが集まるから“大都会”なんですよね。池袋駅は、世界でもトップクラスの乗降客数を誇ります。ここに来ればなんとかなる、と思う人がいっぱい来る。でも全員が成功できるわけじゃないから、なんとかならなかった人が生き残るために路上生活になるんです。そういう人は排除して、健康でお金持っている人だけ歓迎するというのは、街のあり方として健全でしょうか?」
「今、池袋に住んでいる人の多くは他の地域から来た人だと思います。それと同様にホームレスの人たちもよそから来た人が多いんですよ。これから彼ら彼女らがどんどんアパートに入って、そこから『この人元ホームレスっていうけど普通だよね、まあちょっと変わってるけどね』っていうような感じで、だんだん地域社会に溶け込んでいったらいいと思います。歳をとったら地域のデイケアに通ったりしてね。応援してくれている地域の人もいますから。」
首都圏版「借りて住みたい街ランキング」において、1位常連の池袋。これから池袋西口公園が“劇場広場”、そして中池袋公園が“サブカルの聖地”としてデビューする予定であり、人々の期待の高まりとともに池袋にはますます人が集まるようになりそうです。そういった街に再起を夢見て訪れ、しかし夢破れて行き場を失ってしまう人がいることは必然なのでしょうか。
見た目にわかりやすい大都会とは別に、「池袋がオシャレになってどうすんですかね?」と笑い飛ばすTENOHASIの方々のようなこの街の人たちの優しさが、行き場のない人に帰る場所を与える懐の大きい“大物の都会”としての池袋をつくっていくのかもしれません。
◼️取材協力
特定非営利活動法人 TENOHASI 清野賢司
著者:関希実子・久保耕平 2019/3/21 (執筆当時の情報に基づいています)
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