大人だからこそ、あえて現実から逃避する。中目黒にある「もう一つの自分の部屋」Under the mat。

目黒区中心部の繁華街、中目黒。地区の中央を桜並木で有名な目黒川、板橋から品川を縦断するように伸びる山手通りが流れる。以前は飲屋街だったガード下の下町感も一掃され、ファッションやブティックなどが入りいまや流行発信地の一つにもなっている中目黒。

恵比寿、代官山などと並び「都心の隠れ家」とも評される中目黒には、目まぐるしい日常から少し距離を置きたいという人が密かに集う「Under the mat」と呼ばれる逃げ場があります。

「大人が現実逃避できる場所をつくりたい」という店長の藤崎悦朗さんの願いによって生み出されたその空間は、マンションの2階にひっそりと隠れ、ブックカフェの形態を取りつつも、座ると互いの視線が合わないように設計されていたりと「個」を尊重するつくりになっているんです。

レイアウト以外にも、衝立や観葉植物などでうまく視線が遮られるようになっている。

社会生活に閉塞感をおぼえる一方で家には籠もりたくない、というニーズは現代人のなかに確かに存在しているようで、連日、老若男女多くのお客さんが訪れるUnder the mat。藤崎さんは、チェーン展開のカフェなどで起こりうる特有の「気まずさ」に着目し、それを排除できるような設計を目指した言います。

「日常から解放されるためにカフェに来たのに、隣の席が近すぎて疲れる。自分のやっていることを見られるのもなんか恥ずかしいし、他人の会話が聞こえたりするのも邪魔だったりする。お客さんの回転率が早いから引っ切り無しに人が入れ替わる……」

「それって、なんか会社と変わらないというか。窮屈さから逃れようとして、窮屈になってるっていう矛盾。じゃあ『個室』でいいじゃんという話になるかもしれないけど、それだと漫画喫茶と同じだし、そもそも家でいい。お客さんはあくまで『空間の共有』を求めているんです」

「だから空間はシェアできるようにして、配置や展示物などで遮ったりして、視線がぶつかった時のあの気まずさとかが生まれないように計算しています」

人生において現実逃避したい瞬間が何度もあった、と話す藤崎さん。

「とくに中目黒は、東横線と日比谷線が通るまちで、渋谷や横浜方面に、サラリーマンが足早に通りすぎる場所です。会社というある種の窮屈な空間から、確実に解放されるような場所を作りたいと思いました」

Under the matでは、チェーン展開のカフェに見られるような「客席回転率」という考え方がないため、藤崎さん自身も店の奥で本を読んでいたりと、お客さんにあまり干渉しないような雰囲気をつくっていると言います。

▼ 「個」の追求により「自室化」した空間。信頼そのものがセキュリティになる



SNSの普及やインターネット環境の整備により、24時間他者と接続され社会との繋がりを遮ることが難しくなっている中で、Under the matはそうした接点を一時的に分断し、「個」の確保を図ります。

気まずさを味わうことなくひとつの空間を共有できるUnder the matでは、こうした雰囲気づくりの末に、不思議な現象が起こるようになりました。藤崎さんは、空間が「自室化」していると語ってくれました。

「じつはここにある物、三分の一近くはお客さんが置いていったものなんです。最初は本だけだったんですけど、オブジェもピアノも家具もと次々。買ったりもらったりした物を自分の部屋に飾るような感覚で、みなさん残していくんですよ」

ギターやオブジェなど、その多くがお客さんからのもらいものだと言う。

雑多に見える店内は、プライベート空間が演出できるよう計算されつくられている。

「普通のカフェなら断るんでしょうけど、なぜか置いてみるとしっくり来るんですよね。この場所を自分事として捉えてくれているから馴染む。Under the matのこの空間というのは、私の手を離れて、お客さんそれぞれの部屋になってきています」

自室化が進んだ結果、居心地の良さからか、お客さんの忘れ物が多くなるといった特有の事象まで見られるようになりました。そもそもこの「Under the mat」という店名は、直訳すると「マットの下」。

これは鍵の隠し場所を意味していて、ひと昔前のドラマやアニメで見られた、「鍵はここに置いてあるから、勝手に入ってていいよ」いったような意味合いなのだそうです。

その名のとおり、常連さんのなかには、店の定休日などに鍵を借りて、一人で店内のピアノで練習をしたり、スペースを好きに使ったりといったようなこともあると言います。これは、お客さんとこの店の信頼関係が、そのままセキュリティとして機能しているからこそできることなのかもしれません。

当初置き物として配置していたピアノも、次第にお客さんが演奏をするようになっていった。

Under the matでは、これらの取り組みにより「個」を追求していった結果、逆に店内で「繋がり」ができるという奇妙な現象が生まれることとなりました。藤崎さんは、それこそが「気まずさ」のない自然な出会いだと、以下のように話します。

「うちはブックカフェですし、雑貨などもありますから、勿論立ち上がって色々なものを見たりします。そういうときに自然と会話が生まれる。でも出会いを求めて来てる訳じゃない。疲れた、一人になりたいって思って来てるのに、出会ってしまう。これってストレスフリーでとても自然な出会いだと思うんです」

定期的に開催されるお客さんによるお客さんのためのライブ。(提供:Under the mat)

「結果、お客さんが料理やドリンクを作ったり、ぼく不在で店が回ってたり、よく分からないことが起こるようになりました。『個』を重んじながら『繋がり』が生まれる。その絶妙な均衡がこの店独自の空気感なのかもしれません」

▼ 「目的」を持たれやすい中目黒だからこそ、「目的」のない店にしたかった。



店には物が溢れ、店長不在の時間も多々あるというUnder the matですが、中目黒に店を構えて以来、盗難は一度もないと言います。自分の部屋のものを盗らないのと同様に、この店にはそもそも「盗む」という概念がないようです。

またUnder the matでは「個」を尊重しているだけに一人で来店する方が多いのかと思われますが、実際にはカップルや友達同士で来るお客さんも多くいます。そうしたグループ客に対しても、考えられた設計がなされているんです。藤崎さんは、集団特有の「気まずさ」について語ってくれました。

「たとえば友達と二人で店に入って、最初はいいんだけど徐々に話すことがなくなって気まずくなる、みたいなことってあるじゃないですか。そういうとき、話題にできたりするものがあると、その嫌な空気が緩和されますよね」

「だからうちは、あえて本をテーブルに置きっぱなしにしたり、他にも変な置き物、よく分からないボードゲームとか、ツッコめるものがいたるところにあるんです」

以前開催されたワークショップ。老若男女さまざまな層のお客さんが集まる。 (提供:Under the mat)

「要するに、気まずさから逃げられる要素をつくってあげるってことですね。普通のカフェにはそういうものが少ないなって思うんです。飾られていたとしても、オブジェとか絵とか。話すために集まって、沈黙がつづいて、それで言い訳ができないと正直きついですよね」

最後に藤崎さんは、この「気まずさ」の正体について、「目的」という言葉を使って説明してくれました。

「人は目的があるから気まずくなると思うんです。旅行に行ったら観光しなきゃいけないとか、『語ろう』って集まったから喋らなきゃいけないとか。でも自分の部屋って、当たり前ですけど、目的ってないですよね」

「中目黒って、お花見しようとか、あのスイーツ食べようとか、『目的』を持たれやすい街だと思うんです。だからこそ『目的』のない店にしたいなと思ったんです」

マンションの2階にひっそりと佇むUnder the mat。物珍しさから中を見にくる地元民も多い

観光だけに限らず、目黒区役所や警察署が置かれるなど官庁地区としても機能する中目黒。多様なニーズに応えられるまちだからこそ、来訪の際は「目的化」されやすいという側面は確かにあるようです。

日頃感じながらも、他人への気遣いからなかなか言語化することができない「気まずさ」。それは仕事上だけでなく、友達や家族など、すべての人間関係において共通することでもあります。

「目的」を取っ払い、ふらっと足を伸ばしてみる。非日常への鍵は、マットの下に隠れているかもしれません。



【取材協力】

Under the mat

店長/藤崎悦朗

【アクセス】

東京都目黒区中目黒3-6-7 河田ビル2F

中目黒駅より徒歩10分程度


著者:清水翔太 2019/5/24 (執筆当時の情報に基づいています)
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