川口にある“お客に口を出させる”ブックカフェ。「やりたいことのある人がやりたいことをやることで人が集まってくるんです。」
蕨駅から東口駅前通りを抜けると、そこはもう川口市。少し歩いたところにある芝銀座通り商店街に昨年オープンした「Antenna Books & Cafe ココシバ」(以下、ココシバ)では、毎週木曜日の夜になると、なにやら楽しそうな勉強会が繰り広げられています。
この集まりは「クルド寺子屋」という勉強会で、教わる側のクルドの人たちの中には、日本で生まれ育った子どももいれば、来てまだ2〜3ヶ月の日本語を学んでいる真っ最中の大人もいます。
ココシバを共同で運営している小倉美保さんは、この勉強会のエピソードとして次のようなお話をしてくれました。
「日本地理学習の一助になればと、みんなで日本地図のパズルをやったりします。行ったこともない場所をただのパーツとして覚えるのは大変ですけど、日本人の大人もみんな真剣にスピードを競い合ってやっていますよ。」
この日も算数の勉強をする子がいたり、トランプの「豚のしっぽ」などの懐かしい遊びをしていたりと、和気あいあいとした雰囲気でしたが、そもそもこの「クルド寺子屋」はどのようにして始まったのでしょう?
小倉さんは次のように言います。
「たまたま街の公民館で日本語を教えていた女性が近所に住んでいて、お話を聞いているうちに『ここでクルド人の友達に勉強を教えたい』と言ってきてくれたので、『それだったらどうぞやってください』ということで始まったんです。」
国内にいるクルド人の7割にあたる、およそ1500人が川口に住んでいる。クルド寺子屋の参加費は一回につき、一人たったの200円。
お店に訪れたお客さんからの「やりたい」という一言でイベントやワークショップが開催されていくココシバのカレンダーは毎月予定でいっぱいです。
試しに3月のカレンダーでどのくらい空白の日があるのかと計算してみると、定休日を除いて何も入っていない日はたった15%ほどしかなく、週末などは1日に3つのイベントが入っている日もありました。
▼ カフェには誰でも作れるメニューしかありません。ここでイベントを開きたい方が普段カフェの手伝いに来てくれています
ココシバでは、開催日の2、3日前にイベントがポンと入ることも珍しくない。
過去のイベントとワークショップのリストを追っていっただけでも、絵描きさんの似顔絵描きや、サラエヴォ料理を食べる会、ニューヨークラテンジャズを楽しむ会。さらに、1990年のCMをビールでも飲みながら皆でだらだら見る会に、店内が出店者とお客さんでぎゅうぎゅうになる毎月恒例のハンドメイドスローマーケットなどなど、ジャンルもやることもバラバラです。
言ってみれば、ココシバの運営はやりたいことのあるお客さんに「口を出させる」ようになっているわけですが、それは店主である小倉さんと吉松夫妻の3人がそれぞれに本業は別にあってカフェは副業でやっているから、と小倉さんはおっしゃっていました。
というのも、「やりたい」と言ってきてくれたお客さんたちがイベントを主催したり、普段カフェに手伝いにも来てくれたりしているおかげで、小倉さんたちは店にかかりきりならずに自分の仕事に時間を使うことができ、カフェの仕事と両立させることができているのです。
「Antenna Books & Cafe ココシバ」の店主、小倉美保さん「一緒に店主をやっている吉松夫妻も私も、副業でお店を運営しているんですよ。お手伝いに入ってもらっている間、私は裏で出版の方の仕事をさせてもらっています。」
「このお店には誰でも作れるメニューしかないんです」という小倉さん。カフェのメニューはクルド本場のスイーツや地元のお店の美味しいものなどを厳選してありますが、カフェでの調理はとてもシンプルで、初めて手伝いに来た人でもそれほどハードルが高くありません。
食べ物・飲み物以外のお手伝いについてはそれぞれに得意なことを発揮して、例えば、掃除が好きな人はお店を綺麗にしてくれる、お花が好きな人は店先のお花の手入れをしてくれる、というように自然となっているのだそうです。
そうした協力者の方たちはだいたいココシバに自転車で来られる範囲に住まわれていて、イベントの企画を練ったり、新しいメニューのアイデアを出し合ったりする毎週水曜の「ココシバ運営会議」に参加されたりもしています。
▼ 60万人も住んでいる街なのだから「東京まで出なくたって身近に仲間がいるんだよ」と伝えたい
小倉さんの出版社「ぶなのもり」から著書『私のエッジから観ている風景』を出している金村詩恩さんもココシバの常連。20キロの道のりを自転車こいでやってきます。
もちろん、カフェの店主である小倉さんも吉松さんもココシバでやりたいことを実現しています。
例えば、猫好きで猫の本の著者でもある吉松さんの縁で、同じく猫好きで猫落語をオリジナルでつくっていらっしゃる落語家、春風亭百栄師匠をお呼びした「猫落語」がココシバで実現しました。
ほかにも吉松さんの出身地、別府で暮らす落語家さん、川口住まいの新人落語家など、さまざまな縁をたどり、ココシバでは本棚を高座に、落語家の寄席が定期的に開かれるようになりつつあります。
ココシバにはぶなのもりで本を出した著者はじめ、本に関わる仕事をしている人が多く訪れる。吉松夫妻も自身の本を何冊も出している著者さんである。
毎週第2第4金曜の夜には、ジェンダーについて思うところのある人が集まっておしゃべりをする「にじシバ」という会も開かれています。
「にじシバ」は、川口市にパートナーシップの請願を出すための署名活動をしていたお客さんがきっかけで始まったイベントなのだそうです。
ジェンダーについていろいろな思いを抱えている人がいることがわかった一方で、そうした人たちが地域で語り合ったりできていない事情も見えて来たという小倉さん。次のようにお話ししてくれました。
「60万人も住んでいる街ですから、当事者はいっぱいいるんです。けれどなかなか顔も姿も見えない。みんな東京まで出ているんですね。しゃっちょこばった話じゃなくて、例えば『制服』といった身近なキーワードから、気軽にお茶会のように地元で話せる場をつくりたいなと思ったんです。」
小倉さん「ココシバで、知り合いではなかった人同士が出会って仲良くなったりするのがめちゃめちゃ楽しい。」
30年ほど前から川口に住んでいるという小倉さんですが、川口に興味を持ったのは小倉さんが高校生のころ、「川口自主夜間中学」という在日朝鮮韓国人のお母さんたちなどが日本語の勉強をする活動を見に行って「川口っていろんな人がいて面白いな」と思ったのが最初だったのだそうです。
「川口は東京のすぐ横の工業地帯として発展した街です。戦中から東北や沖縄出身の方が引っ越して来られるようになって、さらに戦後には海外からの労働者の方も増え、今では16人に1人は外国人。震災後に福島から来られた方もいらっしゃいます。川口は、いろんな地域から来る人の受け皿となり続けてきた街なんですね。」
「考え方も経験も違う人がたくさん住んでいる。特に押し付けるということなく、本を買う手前ぐらいの気持ちでイベントに来られて『こういう考えもあるんだな』『こういうものを食べるんだな』と知ってもらえたらいいですね。この街の面白がり方を教えてあげたいなと思っています。」
小倉さん「川口にあるのは外から来た人たちの持ち寄りの魅力。ここで本を出すネタが拾えたらいいなと思っているので、お客さんには『なんか持って来てくれるかも』と期待してしまいます。」
川口には代々住んでいるという人たちと比べ、ほかの地域から移住してきた人がだんぜん多く、よくよく見てみると街中には外国風なお店以外にも、さまざまな地方の飲食店があります。
外国人の多さが注目されやすく、それが余計に街の実像を見えにくくしてしまうのかもしれませんが、川口の人たちの「やりたい」を次々と拾って実現しているココシバでは、訪れる人の視界がどんどんクリアになっていくようです。
きっと外から来た人たちに向けられる街の人のいろいろな感情もよく見えてきてしまうでしょうが、小倉さんは「私も余所者なので気にしません。ココシバは街の空気に合わせない店。お客さんがここに入る前と後ではこの街に対する気持ちが変わっていたらいいと思います。」とおっしゃっていました。
ココシバはこの度、「第1回(平成30年度)埼玉県空き店舗ゼロリノベーションコンペ」で優秀賞を受賞。
ごくたまに来る人も、毎日来る人も、ふらっと入ってきて常連になった人も、ずっと来ていたのに来なくなった人もあって、少しずつ入れ替わりながらその時々に集まった人たちがイベントにワークショップ、お手伝いにとさまざまな形で関わっているブックカフェ、ココシバ。
一年後にはまたたくさんの人が入れ替わっているごちゃごちゃしたこの街では、息を潜めて暮らすよりもまずはココシバに行き、「あれがやりたい」「これがやりたい」とわがままを言って面白がられてみるのがよさそうです。
⬛︎取材協力
「Antenna Books & Cafe ココシバ」 小倉美保
著者:関希実子 2019/6/7 (執筆当時の情報に基づいています)
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