研究所や工場が集まる、都内トップのものづくりエリア、板橋区「計算通りにいかない凧の世界は、つくり手になるほど面白い。」

都内でも有数の工場・研究所の集積地として知られ、ものづくりが盛んな板橋区。

数年前には製造品出荷額・付加価値額が23区で1位になった板橋区では、区内に住んで働いている人のおよそ半数が板橋区で就業しているといいます。

日々技術開発が行われているこの地域の現在の様子からは想像もつきませんが、昔は板橋区のあたりは農地が多く、当時この地域の農家の人たちは、副業で凧をつくったり、娯楽として凧を飛ばしたりしていたのだそうです。

そんな板橋区では毎年4月に、荒川河川敷にある野球のグラウンドで「板橋区親子たこあげ大会」が開催されています。

普段は野球場として使われているところに、この日は凧揚げのために集まる親子が行列をなす。

2019年で40回目となった「板橋区親子たこあげ大会」。このイベントの目玉となっているのが、子どもたちに無料配布されている手作り凧です。

全国各地さまざまな凧揚げ大会がありますが、1000枚以上の手作り凧を無料配布するという凧揚げ大会は他にありません。今年も「板橋区凧の愛好会」のメンバーが、一人頭100枚ぐらいを担当して全部で1100枚の凧を準備したのだそうです。

「板橋区凧の愛好会」の内山さんは次のように言います。

「1枚の凧が完成するのに1時間くらいかかるかな。100枚つくるのには2ヶ月くらいかかります。」

「ここの凧は性能がいいんですよ。この凧を持って私たちが地方の凧揚げ大会に行って、遊びに来ている子どもにホイってあげちゃったりするんですけれど、そうすると、その子がその大会で優勝しちゃったり…。そういうことが結構あるんですよ。」

この日も1時間くらいで配布を完了してしまった手作り凧が、空の陣地を奪い合うように大空に舞い上がっていきました。

▼ 凧を飛ばすときは走りません。凧に風を受けさせて揚げるのではなくて、凧は風を逃して揚がるのです

干支で描かれる凧のデザインは毎年変わる。凧の絵は、ステンドグラスのように光が当たって色が映えるよう、染料で染められている。

設立して40年になる「板橋区凧の愛好会」も、もともとはこの凧揚げ大会で配る凧をつくる人を募集した、というのが始まりだったのだそうです。

赤いジャンパーがトレードマークとして知られる「板橋区凧の愛好会」のメンバーの、凧揚げ大会でのもう一つの仕事は「凧の病院」に常駐し、「壊れちゃった」と次々にやってくる子どもたちの凧を直すこと。

内山さんは「凧は壊れるもの」として、次のようなお話をされていました。

「昔は駄菓子屋で50円くらいの凧を売ってたのね。僕らはそれで1日遊んでポイですよ。自分もそうだったから『凧を大事にしましょう』とは言えない。子どもは壊すものですし、凧は壊れるものだから。」

「板橋区凧の愛好会」の内山さん「凧づくりの基本は、正確につくることと、軽くつくることです。」

「子どもは凧を持つと走っちゃうんですよ。揚がってなくても凧を見ないで走っちゃう。そうすると凧は紙だから破けちゃうんですね。凧を飛ばす時には絶対に走りません。走らないで風に流すっていう感じかな。凧というのは『風を受けて揚がる』というよりは、『風を逃して揚がる』ものなんですよ。」

凧を飛ばすためには全速力で風を切って走るのが一番いい方法に思われますが、それでは凧が地面に叩きつけられるだけなのでしょう。

風を待ち、凧を風に流すというお話を聞いていると、凧揚げが風流な大人の遊びに見えてきます。



「凧の病院」では、「あとで家に帰って、ここをもう1回ボンドで貼ってごらん?」「糸が切れないようにすぐに解ける結び方をしよう」というようなアドバイスももらえる。

「凧の病院」で凧を直していた「板橋区凧の愛好会」の高木さんも、凧揚げを始めたきっかけを次のように言います。

「たまたま河川敷にゴルフに行ったら、ブワーッという飛行機が飛んでくるような音がしてきてね。それで見に行ってみたら、でっかい凧を揚げていたんだよ。その凧を揚げさせてくれるというのでやってみたんだけれど、うんともすんとも言わない。それで面白いと思って僕は始めたんだ。」

▼ 凧揚げが白熱しすぎて禁令が出た、凧の種類世界一の日本。新しい遊びが出てきても、凧揚げは受け継がれる

気球かと思うような巨大な凧も登場。綱引きのようにみんなで息を合わせて揚げる。

凧が日本に伝わったのは1000年以上も前だそうで、凧の種類の多さでは日本はなんと、世界一なのだそうです。

古くは貴族や武士のものだった凧ですが、江戸時代には町民のものになり、それぞれが自慢の凧を持ち出して凧合戦をやったり、喧嘩になったりするようになったこともあって、江戸では奉行がたこあげを取り締まらないとならなくなるほどだったとか…。

葛飾北斎らの浮世絵にも凧を揚げている様子が描かれているほどたこあげは日常に溶け込んでいたものの、その後文明開化のあおりを受け、たこあげ熱は下火になりました。しかし、板橋区のように農業が盛んだった地域では冬場の閑散期に内職でできる仕事として凧づくりが残ったのです。

「板橋区凧の愛好会」の人たちからは「小さい時から親や兄が凧をやっていたので、それを見よう見まねで作ってきたんですよ」という声も聞かれた。

「凧づくりは全部手道具でできるんですよ」と、内山さんは次のように言います。

「凧づくりをすると和紙のことがわかる、竹っていうものもわかる。それらをどうやって組み立てようかと考えるでしょう?それに糸の縛り方もわかる。あるいは絵も描かなきゃいけないですね。工作の要素としては、凧づくりにはかなりのものが網羅されていますよ。」

「僕らは小学校や子供会の凧づくり教室とかにも行きますし、春の桜まつりや秋の農業まつりでブースも出しているんですね。農業まつりでは、子どもが凧に自分で絵を描けるようになっているんです。その日は1日で500枚くらいの凧を配ります。」

農業まつりで絵を描く凧には必ず、子どもたちが自分の名前を書くようになっています。そして、その凧を「名を上げる」という祈りを込めて揚げるのだと、「板橋区凧の愛好会」のみなさんが子どもたちに話したりするのだそうです。



「来年は僕が板橋区親子たこあげ大会の凧をデザインする番なんです。子年なのでオリンピックとバンクシーのネズミにしようかな。僕は元々デザイナーなので、そういう話になればうるさいですよ。」と微笑む内山さん。

自然に運を委ねて暮らしてきた日本人の精神は、こうした遊びによって受け継がれていくのでしょう。

日本で凧が発展したのは、和紙、竹、そして麻糸という、凧づくりに絶好の材料が手に入ることや、日本人の手先の器用さなどが主な理由とされています。

それに加えて、はるか昔から人の力の及ばない自然に対する畏敬の念を持ち続けてきた土地だからこそ、「風に流す」という、凧揚げの面白さが広く受け入れられたのかもしれません。

「板橋区親子たこあげ大会」では子どもたちが凧をつくって持ち寄る「たこコンテスト」も開催されている。

「計算上は、何メートル以上の風があれば揚がるっていうのは出てくるんですよ。けれど凧揚げでは『なんで揚がらないんだろう?』っていうのがいくらでもあります。なかなか計算通りにいかないんですね。」と話す内山さん。

94歳になる内山さんのお父さんも「板橋区凧の愛好会」のメンバーで、もともと二人とも飛行機好きだったのですが、今ではすっかり凧一筋です。

ものづくりの街として発展した現在の板橋区では、自由に凧を揚げられるような空き地はなかなかありません。

それでも、「板橋区凧の愛好会」のみなさんが「毎日同じ風は吹かないからね」と研究を重ねながら、たこあげという自然との遊びの中で、持ち前のものづくり精神を発揮しているのです。

⬛️取材協力

「板橋区凧の愛好会」のみなさん


著者:関希実子・早川直輝 2019/6/11 (執筆当時の情報に基づいています)
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