「なんにもない街」神奈川県綾瀬市が、5年で100作品を超えるロケ誘致に成功した理由。

江ノ島で有名な海辺の街、藤沢市から内陸に入ったところにある神奈川県綾瀬市。

湘南エリアとは対照的に綾瀬市にはこれといった観光スポットがなく、市内には電車の駅すらありません。

周辺の街と比べると「なんにもないよね」と言われてきた綾瀬市ですが、その特徴のなさが実はここ数年、映像業界で重宝されるようになっているそうです。

人気TVドラマ「コウノドリ」のロケ地となった綾瀬市役所屋上。

TVドラマ「コウノドリ」や映画「万引き家族」、GLAYのMVなどを筆頭に、綾瀬市では数々の人気作品のロケが行われてきました。

これほどロケ地として綾瀬が選ばれるようになったのは、ロケの誘致に取り組む「綾瀬ロケーションサービス」の人たちあってこそといっても過言ではありません。

「綾瀬ロケーションサービス」とは、問い合わせ窓口となる市役所と、撮影をサポートする市民ボランティア「あやせ市ブタッコリ〜ロケ隊」(以下、ブタロケ隊)の合わさった、官民一体型の組織です。

官民一体型組織「綾瀬ロケーションサービス」。市民ボランティア「あやせ市ブタッコリ〜ロケ隊」の隊長を務めている比留川実さん(左)と、問い合わせ窓口を担当している市職員の一人である山内さん(右)。

ブタロケ隊で2014年の立ち上げ当初から隊長を務めてきたのは、比留川実(ひるかわみのる)さん。52歳で脱サラをしてから、綾瀬市で専業農家として、お客さんのリクエストに応えながら約80種もの野菜を育てています。

比留川さんは、次のようにロケ地としての綾瀬の魅力を述べていました。

「なんにもない綾瀬っていうのは、言い換えればイメージ自体がないので、どの撮影にも使えるっていうのはメリットとしてあると思いますね。良くも悪くも代表的な作品がないので、『この映画』という作品のイメージも綾瀬にはつかないんです。」

▼ “どこにでもありそうな風景”で、撮影された作品は100作品以上

綾瀬市で一番多く撮影の行われている場所は綾瀬市役所。市役所入り口には映画「七つの会議」のロケ地看板が立っていた。

2014年にロケ誘致の取り組みがスタートしてからこれまでで、綾瀬市でロケが行われた作品の数は100作品を超えていますが、実際に市役所に寄せられた問い合わせ数は、約1200件にもなるそうです。

綾瀬ではユニークなつくりのビルや地形など「ここでしか撮影できない」場所があるわけではなく、逆に「どこにでもある風景がある」というのが売りですから、制作会社から撮影場所を指定されることはまずありません。

問い合わせ窓口となっている市役所は、「こんな感じの公園ありませんか?」というような漠然とした要望に対応しなければならないということになります。



特出した観光地はないけれど、「どこにでもある普段の風景」の宝庫である綾瀬市。市役所のほか、実際に綾瀬で撮影に使われている場所を挙げてみると、公園、個人宅、会社のオフィス、野球場、畑などです。

市役所はすでに登録されているロケ地リストなどから候補を探し、それでも見つからない場合は、20名ほどいるブタロケ隊のメンバーに連絡をして、要望に合いそうな場所を教えてもらう流れになっています。

ブタロケ隊のメンバーには農業、工業、商業、そして不動産関係者といろいろな分野の人が揃っているため、そのネットワークを活かして候補地を探すことができるのが強みです。

また、それぞれ普段の付き合いの中で「何かあったときは撮影に協力してよ」と声かけをするなど、日々の生活の中でのロケ候補地探しにも余念がありません。

映画「空飛ぶタイヤ」では綾瀬市役所が、なんの違和感もなく警察署になっていた。

いろいろな作品の中で綾瀬の街が登場するようになって、今では市民も「また来てるね」とロケを見守り、綾瀬市長も先頭に立ってロケ誘致に取り組んでいます。

その活動は順調そのものに見えますが、ブタロケ隊隊長の比留川さんは最初から何の疑いもなく取り組めていたわけではなかったと、次のように言いました。

「例えば市役所の会議室でロケが行われても、『綾瀬市役所』とわかるようには映りません。作品の最後に流れるエンドクレジットでちょこっと名前が出るだけです。『それが綾瀬の活性化につながるの?』と思っていましたよ。」

しかし今、綾瀬市内のロケ地にはシーン写真入りのロケ地看板が立ち、ロケ地マップも用意され、それぞれの作品のファンが、一見何の変哲もないように見える市役所などへ観光に訪れる街へと変わり始めています。

▼ 「見物人の整理や車の誘導は任せてください」という一言から、綾瀬は「撮影隊に喜ばれる街」へと動き出した

綾瀬では市内在住/在勤の方を対象にエキストラを募集しており、約300人が登録されている。ついに、吉本興業が主導となって、ロケ地とエキストラをオール綾瀬ロケで取り組んだ地域発信型映画「ルーツ」が制作された。

手探りで始まったロケ誘致のプロジェクトですが、ブタロケ隊の皆さんがとにかく手を抜かずに取り組んだことは「撮影隊に喜ばれる街」にすることだったそうです。

比留川さんは次のように言います。

「制作会社が何を求めているかっていうと、ロケが早くスムーズに終わること。それがまず、第一なんですよ。」

「外であれば通行人や見物人の整理。路上で撮影する場合は車の誘導。それらは本来は制作会社がやることなんですけど、我々ができるところはやろうと、制作会社の方にどんどん協力しました。そういう部分を我々ができるので、制作会社の方は他の部分の仕事を進めることができるんですね。」



ブタロケ隊のメンバーは主に40代〜70代。仕事の形態がフレキシブルであったり、現役を引退している人が多いので、平日昼間のロケであってもサポートに駆けつけることができます。

公園などは公共施設ですから、「ロケのため、立ち入り禁止」にはできません。そこでも、ブタロケ隊のメンバーが先頭に立ち、集まった地元の人々を整理するため、撮影スタッフから大変感謝されるそうです。

結果、業界では「綾瀬はロケがしやすい」と口コミで広まり、綾瀬で多くのロケが行われ、綾瀬市民のロケ誘致への認知度が高まり、どんどん撮影がスムースになっていくという好循環が生まれたのです。

綾瀬市の「城山こみち」付近の住宅街が、映画「万引き家族」のロケ地に選ばれた。

もともと、「ロケ」と「グルメ」の両輪で綾瀬市を元気にしたい、というのが活動の出発地点だったというブタロケ隊は、ロケの誘致を進めながら、グルメ開発を本格的にスタートさせました。

綾瀬には、地域のブランド豚である高座豚を使った、すき焼き風汁物「豚すき」という郷土料理があります。それをアレンジしてメンチカツにした「あやせとんすきメンチ」の開発に成功したブタロケ隊は、「あやせとんすきメンチ」を撮影隊に差し入れするようになったそうです。

全国各地で撮影をしている制作会社の方たちが楽しみにしていることといえば、行く先々で出会う地場産の美味しいもの。

「あやせとんすきメンチ」はSNSで話題になり、ロケ地を訪れる人々の間でも、綾瀬のご当地グルメとして注目が集まるようになっています。

▼ “東京にほど近い、住みやすい街”なんて記憶に残らない。だったら、“なんにもない街”の方が面白い

ロケに訪れた番組スタッフが公式ツイッターで「あやせとんすきメンチ」を紹介してくれたそう。

野菜の収穫中も容赦なく、比留川さんのところに「隊長〜!」と電話がかかってくるそうです。

その電話の張本人は、「綾瀬ロケーションサービス」の問い合わせ窓口を担当している市役所の方たち。その一人である山内さんは、ブタロケ隊とともに築いたこれまでの成果を元に官民一体でこれからチャレンジしていきたいこととして、次のように話していました。

「行政ができることは、ロケ地マップやロケ地看板などのツールを作って、『ロケ地巡りと市内のお店で楽しんでくださいね』とPRすることだけ。実際にお店に訪れた人にどう喜んでもらおうかという部分は、行政ではできません。」

「ロケ地と、市内の頑張っているお店をつなげるツールの一つとして、観光情報アプリ『めぐるっと』を始めました。今まではロケやグルメに力を入れて、綾瀬に訪れてもらうきっかけとなる“点”をつくってきたんですね。その点をどのようにつなげていくか、これからは“線”をつくる数年になるのかなと思います。」

「旬菜みのりファーム」のオーナーとしても活躍する比留川さん

「昔の綾瀬にあったような田舎の風景をつくって、『田舎の画が都心からほど近くで撮れる』ってなったらいいな。田舎がロケの聖地になって、日本全国から田舎体験に来てもらえるようにしたい。僕は農家ですから、農業を通じて昔の田舎を次の世代にも体験していただきたいですね。」

「実は綾瀬には『なんにもない』ってことはないんですよ。でも、“東京にほど近い、住みやすい街”って表現しても記憶に残らないでしょ?」とイタズラっぽく笑う比留川さん。

横浜や東京に近い立地にありながら特筆すべきものがなく、街としてのイメージがない綾瀬市に長く住んできた人は、自分たちで動きたいように動けるこの街の良さを知っています。

「綾瀬ロケーションサービス」が注目されて綾瀬市の名が知られるようになっても、いつもの「なんにもない」を合言葉に、今日も綾瀬では街の人々がハングリー精神を掻き立てられているのです。

⬛️取材協力

「あやせ市ブタッコリ〜ロケ隊」隊長 比留川実さん

綾瀬市産業振興部 商業観光課 商業観光担当 山内さん


著者:関希実子・早川直輝 2019/7/2 (執筆当時の情報に基づいています)
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