東横線の一番下を狙う、“クレイジー”な六角橋商店街。「同じことをやりながら、違う結果を期待している方がクレイジーだ」
渋谷と横浜をつなぐ東急東横線の、各駅停車しか停まらない白楽(はくらく)駅。横浜市神奈川区内に位置し、横浜駅からは5分のところにあります。
白楽駅西口を降りたところに広がるのは、六角橋商店街。“横丁”といいたくなるような路地に入ると、店がぎっしり立ち並んでいます。
戦後の闇市として栄えたという歴史を持つこの商店街は、この場所が当時、路面電車の始発駅であったこともあって、横浜三大商店街の一つとして賑わっていたということです。
もう80年近く建て直しをしていない店々が連なる、六角橋商店街の路地。
混沌とした時代から続いてきた六角橋商店街では、建物が複数の地主の土地にまたがって建てられていたりもして、土地・建物の持ち主や借り主なども含めて一つの物件の権利関係者が4、5人いるのが当たり前。
ゆえにバラックのような商店街の古い店々は建て直しが進まず、自然と昭和20年代そのままの景観が保存されたような形になり、時代から取り残されていきました。
こうして、東横線沿線の他の街が都市開発によって発展し始めるのと対照的に、白楽駅前の六角橋商店街では30年前の時点ですでに1割以上が空き店舗となっていたそうです。
しかしながら、今この六角橋商店街がどうなっているのかというと、「古い、ボロい」の建物はそのままであるにもかかわらず、商店街に空き店舗はゼロ、むしろ若い事業家が店舗が空くのを待っているといいます。
▼ 商店街が生きているうちにやらなければ何をしても効き目はありません。薬と同じです
昔ながらのお店の中に、新しいゆるいお店やとんがっているお店が自然と溶け込んでいる。
およそ30年にわたる六角橋商店街改革の仕掛け人は、六角橋商店街で「陽月堂薬局」を営み、現在商店街連合会会長も務めている石原孝一さんです。
石原さんは30歳で両親から店を継いだのだそうで、その頃の商店街について次のように言いました。
「白楽は東横線の各駅停車駅じゃないですか。元町、みなとみらい、自由が丘、中目黒、代官山、渋谷など、日本のオシャレスポットをつないだみたいになっている東横線で、『おしゃれ、新しい、かっこいい』という方向で何かやっても、全然相手になりませんよね。」
「昼間でも真っ暗で『もうこの商店街は死ぬな。こんな中で新しく店を始める勇気のある人なんかいないな』という感じだったんですよ。しかも、25年ほど前に調査した時点で六角橋商店街には『店主が70代で後継者なし』という店が100店舗もあったんです。」
「薬と同じで、生きているうちでなければ何をしても効きません。死んでしまってからでは遅い。だったらちょっとやっちゃいますか、ということで過激なことにチャレンジしようとなったんです。」
商店街連合会会長を務めている石原孝一さん「行政の支援などでポツポツやっていくのでは全然間に合わない。ここで店をやりたいってい人が押し寄せてくるぐらいの状況をつくらなくては。」
「白楽は東横沿線で一番下町は狙える。下から一番なら取れる。」そう考えた石原さんは、商店街の販売促進部長として商店街を取りまとめ、「古い、ボロい」をそのまま売りにしたイベントを組むことに決めました。
当時、周りの街より一足先に高齢化の進んでいた六角橋商店街では、夜7時を過ぎると店が全て閉まって、商店街が幅2メートル・長さ300メートルの「空き地」と化していたそうです。
若者と縁がなさそうに聞こえる六角橋商店街ですが、実は白楽駅から神奈川大学への通り道となっており、普段から若者の存在が身近にあります。
神奈川大学で行われたフリーマーケットを見て、フリーマーケットには需要があると見込んでいた石原さんたちは、ごちゃごちゃとして活気溢れる東南アジアの夜の商店街のようなナイトマーケットを、この夜の空き地で開くことにしました。
そもそもお店の閉まってるところで行うイベントなので、商店街の売り上げには関係ありません。
それでも石原さんたちがナイトマーケットを「ドッキリヤミ市場」と名付けて、決行に移したのは今からおよそ20年前のこと。
以来、4月〜10月(8月を除く)の毎月第三土曜日に開催されるようになった「ドッキリヤミ市場」は、次第に商店街のシンボルイベントとなり、今では多い月は商店街に入りきらない1万を超える人々が訪れます。
そして、商店街にも「ボロいのがいい」と、30年前とは180度異なるコメントが寄せられるようになりました。
▼ 東横線沿線で家賃の相場が一番安い、学生の街「白楽」は、アーティストにも住みやすい街だった
「ドッキリヤミ市場」が年々来場者を増やしている大きな理由は、このマーケットが開催を重ねるうちに、アーティストが出演したいイベントへと変化していったことにあります。
神奈川大学が近いことから学生街としての面もある白楽は、2019年の東横線の家賃相場が安い駅ランキングでも1位というくらい、家賃や物価が安く、大手チェーンではない安くて美味しい、朝まで飲めるお店もこの界隈だけで二桁あるということです。
そこに惹きつけられてこの街に住むようになったのが、ライブハウスや全国各地のフェスなどで活動しているアーティストたち。
六角橋商店街のあたりを歩いているとアーティストに出会う確率は高く、グレイトフル・デッドといった海外でビルボードにチャートインしているようなバンドが来日したら訪ねてくるような、知る人ぞ知る実力派アーティストも暮らしているのだそうです。
ダンス、弾き語り、フラメンコ、ジャズのビッグバンド、津軽三味線、ピアニカなどなど、「ドッキリヤミ市場」に登場するアーティストのジャンルは様々。7〜9ヶ所で、2時間のあいだに同時にライブパフォーマンスが行われる。
六角橋商店街会長の石原さんも薬局を継ぐ以前は、パントマイムやダンスのパフォーマンスをしたり、イベントのプロデュースをしたりするステージアーティストでした。
お店に商店街にと忙しくなっても、月に2回は近隣のライブバーやライブハウスに通ってきた石原さん。
ライブハウスの店主たちから一押しのアーティストやバンドを紹介してもらって「ドッキリヤミ市場」で演奏してもらい、さらにはそのアーティストの紹介で出演者が決まるようになった「ドッキリヤミ市場」では、一般からの応募で出られる枠は1年に1組あればいい方なのだそうです。
演奏中にお酒も飲みながら、楽しそうにパフォーマンスするアーティストたち。アーティストの収益はその場での投げ銭式。
その数、一晩で100人という「ドッキリヤミ市場」の出演者のことを、石原さんは次のように言いました。
「基本的に出演者のコンセプトは、“アーティスト・フェイバリッツ”、“ミュージシャン・フェイバリッツ”。一般には無名でいいんですよ。ただ自分も音楽をやっている人とかが来ると、『何でこの人がここにいるの?』となる。知る人ぞ知るっていうアーティストをセレクトしているんです。」
実力の確かなアーティストがパフォーマンスをしているイベントとして知られるようになった「ドッキリヤミ市場」は、街のミュージシャンやパフォーマーが参加したいイベントとなり、その出演者枠は1年も前から埋まります。
顔や名前はわからないけれど「やけにうまい人がいる」と、訪れた人のSNSで広く知られるようになってからは、アーティストの街として知られる中央線の高円寺あたりから白楽に引っ越してくる人も出てきているそうです。
▼ 大学の学園祭と変わらぬテンションで、学生が商店街のイベントを盛り上げる
NHKでも特集の組まれた大道芸人、ギリヤーク尼ヶ崎さんも「ドッキリヤミ市場」で毎年常連のアーティスト。
出演者だけではなく、「ドッキリヤミ市場」を盛り上げる大きな立役者となっているのが実は、神奈川大学学園祭実行委員会の学生たちです。
まだナイトマーケットの構想を練っていた頃、石原さんは神奈川大学で学園祭を立ち上げようとしている学生グループと知り合いになり、商店街のイベントのためにと購入した照明や音響などの機材を彼らに貸し出すようになりました。
神奈川大学ではついに学園祭が実現し、今でも学園祭実行委員会やそのOBを中心として、毎回60名近くの学生が「ドッキリヤミ市場」の運営を手伝ってくれているそうです。
石原さんは次のように言います。
「今、学園祭実行委員会には200人近くいるんですね。ヤミ市のオペレーションやるのは、その活動の一環なんですよ。音響機材とか照明とか、普段から慣れておかないといけないし、ステージの設営や撤収、誘導などもヤミ市が練習になりますからね。」
神奈川大学の学生ボランティアがメインステージの音響、ゴミの管理、会場の設営、交通整理など、幅広い業務に携わっていた。
昭和20年代の闇市に由来する薄暗い狭い路地の空間で、露店の煙が溢れ出て、いろんな匂いが混ざり、代わる代わる音が飛び込んでくる…、五感から過剰に情報が入ってくる「ドッキリヤミ市場」は、ちょっと異様な感じさえします。
「ヤミ市をやっていると、口コミがいっぱい上がるんですよ。『ちょっと頭おかしい』とか…」という石原さん。次のように言葉を続けます。
「クレイジーだなって言われるんですけど、私のクレイジーの定義はちょっと違っていて、『変わったことをやる』のがクレイジーなのではなくて、『ずっと同じことをやりながら、結果だけ違うことを期待し続けている』ということの方が狂気じみていると感じます。」
アーティスト、観客、運営の距離がものすごく近い「ドッキリヤミ市場」。石原さんも黒いTシャツ姿でステージからステージへとを駆け回ります。
「ウルトラボロいのが、かわいい」と言われるまでになった六角橋商店街ですが、ここまでくるのに、やってみてやめたイベントが山ほどあるといいます。
街の外の人に自分の街を好きになってもらう一番の薬は、それがたとえ下からであったとしても、一番になれることをやり続けることなのかもしれません。
⬛️取材協力
六角橋商店街連合会会長「陽月堂薬局」店主 石原孝一さん
著者:関希実子・早川直輝 2019/7/11 (執筆当時の情報に基づいています)
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