まちには“観光資源”だけではなく、“観光事業者”も眠っている。まちの人の悔しさも恋心も掘り起こす、群馬県安中市の「廃線ウォーク」

日本に訪れる観光客の数は2018年、3000万人を突破し、観光地では当たり前のように外国語が飛び交うようになりました。

訪日観光客に限らず、自国の外へ旅行する人は世界的に増えており、2018年に国外へ旅行した人の数は世界で14億人を超えたそうです。

国際観光客数が18億人に到達すると見込まれている2030年に、政府は日本に訪れる外国人の数を年間6000万人にまで増やすという目標を掲げています。

そうした流れの中で観光庁は2015年、眠っている観光資源を掘り起こして地域公共団体とともに地域を盛り上げようと取り組む組織を、Destination Management/Marketing Organization(以下、DMO)候補として登録し、支援する制度をつくりました。



日本版DMOがスタートして4年目になる2019年、観光庁はその呼称をDMOから「観光地域づくり法人」とすることに決めました。2019年8月7日時点で、合わせて250を超える組織が登録法人・登録法人候補として認可されています。

その一つとして認可されたのが、長野県との県境に位置する群馬県安中(あんなか)市の一般社団法人、安中市観光機構。

1997年に廃線となった信越本線「横川〜軽井沢」区間の線路を歩いて辿る「廃線ウォーク」というイベントを、月に3回ほどのペースで開催しています。

野ざらしの線路の上を歩いていくことから「スタンド・バイ・ミーのようだ」という声も聞かれるというこのイベントは、スタートから1周年を迎える2019年10月に、総参加者数が1000人を超えると見込まれています。



「廃線になる前の横川の街は労働者の50%が国鉄職員で、うちのおじいさんも国鉄に勤めてたんですよ。」というのは、「廃線ウォーク」の企画、営業からツアーガイドまで務める上原さん。

実は、廃線となった「横川〜軽井沢区間」(通称”横軽”)の碓氷峠(うすいとうげ)は、一般的に鉄道は35‰(パーミル)が限界だと言われているのに対して、その倍近い66.7‰という急勾配区間のある、日本一の難所として有名でした。

この区間のためだけに「EF63」という電気機関車が開発され、それを運転することを許された専属の機関士を始め、電気、検修、保線など、大掛かりな人員配備が必要とされたために、横川駅周辺は鉄道の街として栄えたのだそうです。

EF63を連結作業を行うのに横川駅で約4分ほどの停車時間があり、その作業中に人々が買い求めるようになった「峠の釜めし」は、全国で初めての“あたたかい駅弁”として知られるようにもなるなど、鉄道によってこの街の経済や文化が発展していきました。

▼ レールをなくせば、「いつかまた電車が走ったら…」という、みんなの期待をぶった切ってしまう。



イベントをスタートさせるにあたり、“立ち入り禁止”になっていた廃線を初めて歩いた時のことを、上原さんは次のように振り返ります。

「碓氷峠の急勾配区間は、1km進むごとに60mくらい標高が上がっていく感じなんですね。歩きながら、ここをモノが転がっていったら止まらないよな、果てしなく転がって行っちゃうだろうなと思いましたね。そこを電車が走っていたというのは、まだよくわかっていなかったけれど、すごいことなんだろうなと感じました。」

「昔の国鉄の人は、一人一人思ってることが熱かったり、かっこよかったりする。その仕事ぶり、生活ぶりがわかるイベントにしたい」そう語る上原さん。

明治時代から、日本で当時最大の輸出品だった生糸を長野から横浜まで大量に輸送して外貨獲得に貢献していたというこの鉄道。

長野オリンピックで新幹線が開通することになって廃線が決まったとき、碓氷峠を結ぶ鉄道に責任と誇りも持っていた仕事を失うことになった人たちも大勢ありました。

その当事者であった元国鉄職員の方々が、時には安中市観光機構の事務所まで訪れて、上原さんに当時の話をしてくれるのだそうです。

上原さんは次のように言います。

「軽井沢から横川側に来るときは下り坂でトンネルを抜けて橋を渡るんですね。EF63がエンジンブレーキの役割をしながら、後ろに旅客列車や貨物列車をつけて全重量を支えながら走っていたんです。」

「『この先の橋が崩れていたらどうしよう、絶対に止まれない。でも橋が崩れているかどうかなんてトンネル出たところじゃないとわからない。』機関士は、そういうシーンを夢にまで見ていたそうですよ。そのくらい緊張感とプレッシャーがある中でEF63を運転していたんです。」

ヘッドライトの明かりを頼りにトンネルを抜けていく。200万個のレンガで造られたという「めがね橋」など、橋もどんどん超えていく。上原さんは歩くたびに新しい発見があり、それを鉄道に詳しい参加者に尋ねたり、横川にある「碓氷峠鉄道文化むら」に勤めている元国鉄職員の方に教えてもらっているという。

「それでも国鉄からJRになったとき、年齢など採用条件により、鉄道を去らねばならなかった人も多くありました。国鉄に人生を捧げていた分、思い入れも強いですから、元国鉄職員は今でも『悔しい』と言います。」

「うちのおじいさんは、車で10分くらいのところに住んでいるんですけど、国鉄を退職してから横川に行ったことはありません。仕事に対して一生懸命やってたからこそ行かないんだろうな、と思います。職人気質で頑固だけれど、人情味がすごくある人たちが、当時の話をたくさん聞かせてくれますよ。」

80代90代の元国鉄職員の方たちの心残りや当時の生活のことも、上原さんは「廃線ウォーク」のガイド中に話しているそうです。

電車が走らなくなってしまった廃線だけれど、このまま残していきたいと上原さんは次のように続けます。

「この街の人も、『廃線ウォーク』に来る人も、いつかもう一度電車が走ったらいいなって思ってる。線路をなくして歩きやすく整備してしまうと、そういう期待をぶった切ることになる。ですから、その可能性を残すという意味でも、これからもレールは残したままですね。」

今年、「廃線ウォーク」に参加した群馬県の鉄道関係の方は、かつて「汽笛の音で目を覚まし、汽笛の音で1日が終わる」と言われたこの街で、昔のようにトンネルで汽笛を鳴らそうと、ボランティアで試行錯誤して楽しんでいるとのこと…。

「廃線ウォーク」の協力者の一人、安中市地域おこし協力隊の後藤圭介さん。碓氷峠の鉄道史に興味を持って、この街にやってきた。普段は「碓氷峠鉄道文化むら」で働きながらイベントを企画している。

そもそも“観光”というと昔は、旅行会社やホテル、土産物屋などが関わる分野でした。

しかし、そこに徐々に、作物の収穫体験をテーマに人を集める農家やそば打ち体験のできる蕎麦屋、あるいは日本酒の製造過程を見せてくれる酒造なども加わるなど、これまで観光という分野に入っていなかった人たちが観光の世界を広げつつあります。

「地域には観光資源が眠っているのではなく、観光事業者が眠っている。」安中市観光機構の上原さんも、元国鉄職員に加え、鉄道や鉄道で栄えた街の文化に深い感情を持っている人たちを、廃線によって目覚めさせています。

▼ 「稼げる地域にする」というのは、表のテーマ。裏のテーマは、「地域の若者のコンプレックスを解消する」

「廃線ウォーク」の昼食は、横川名物「峠の釜めし」。朝に出発し、ゴールの時間はコースによって異なる。帰りはSLに乗って高崎まで戻るコースもある。

上原さんは、一度は上京して就職し、地元に戻った自分自身のことを踏まえ、次のように言いました。

「この街に昔、なんで人が集まってきて栄えたのかっていうのを探っていくと、やっぱり人なんですよね。鉄道の仕事にすごいこだわりを持っていた人がいたとか、日本一厳しい環境でプライドかけてやっていた人がいたとか。」

「僕は高校までは『高崎に遊びに行こう』という感じで、信越線で高崎に出ていました。大学時代は北海道の網走市で部活中心の寮生活を送り、就職して上京してからは『東京で暮らす方が楽しいじゃん』と思っていました。みんな田舎にコンプレックスを持って、みんな都会に出ていく。その後にどれだけ戻ってくるのかが重要だと思うんですけど。」

九州、あるいは海外からの参加者も見られるようになった。訪れた人にゆっくりして行ってもらえるよう、宿泊込みのツアーも企画中。

「最近、地元の先輩や友人から、『その仕事してるお前が、一番安中では遊べるようになるよ』って言われるんです。鉄道が好きな人に会いに行って教えてもらううちに、僕もだんだん好きになってきたんですよ。この街の歴史も、鉄道も。」

「廃線のトンネルでライブをやったら面白くないですか?」と楽しそうに話す上原さんは、この仕事を始めてから、目に見えて好きなものが広がっていく感覚を覚えているそうです。

そして、この街を観光で盛り上げるというのには、「街の若者のコンプレックスを解消する」という“裏テーマ”があるのだと言いました。

上原さん「横軽の中間地点で、唯一の平坦な地形のところにあった熊の平駅では、『峠の力餅』というお餅も売られていたことがあったんですよ。『そこで餅を売ってた女の子が可愛かったな』って、うちのおじいさんが言っていたこともガイドの中で話したりしますよ。」

鉄道の街になったことで、夜毎に屋台のチャルメラが山にこだまするほど繁盛していた。今も美味しい中華屋が残る。山の向こうに陽が沈む、横川のまち。

これからの観光は、「訪れる人を増やす」ところから一歩先へ、「訪れる人の消費を増やす」というところが最重要課題であり、DMOのMは、ManagementやMarketingと合わせて、Monetize(稼ぐ)のM、稼ぐ経営を担うMan(人)のMだとも言われます。

「より深く突き刺さるには、人の想いなんだと思う」と、この街の人の心残りも恋バナも聞き歩いてきた上原さんのように、「稼げる地域」になるかどうかは、まずはどれだけ地域の人の眠っている想いを掘り起こせるかにかかっているのかもしれません。


⬛︎取材協力

一般社団法人安中市観光機構 上原将太さん


著者:関希実子・早川直輝 2019/9/2 (執筆当時の情報に基づいています)
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