“ジャズのまち”宇都宮は、20年前までクラシックだった。「悲しい曲の中にも、音楽をする喜びはある」
毎晩、市内のどこかのお店からジャズの生演奏が聞こえてくる、「ジャズのまち」宇都宮。
もとをたどれば、日本で流れる音楽がアメリカのジャズに染まっていった終戦後、宇都宮でも駐留軍のクラブでジャズが演奏されるようになったのが、宇都宮におけるジャズの始まりなのだそうです。
そうしたクラブで演奏していたミュージシャンの一人が、ジャズ好きに知らない人はいない宇都宮生まれのサクソフォン奏者、“世界のナベサダ” 渡辺貞夫(わたなべ さだお)さんでした。
▼ 何軒もの店で生演奏をやっているから、プレイヤーが足りない。それはつまり、レベルダウンするということ
とはいえ、宇都宮市が「ジャズのまち」を掲げるようになったのは、それから数十年を経た2001年のこと。
「ジャズのまち」宇都宮の誕生について、「うつのみやジャズのまち委員会」会長を務めている吉原郷之典(よしはら ごうのすけ)さんは次のように言います。
「栃木が今から20年前に、“文化の国体”とも言われる国民文化祭の開催地になったんです。私はもともとビッグバンドをやっていて、『栃木ビッグバンド連盟』を立ち上げたりしていたものですから、『国民文化祭でジャズをやりたい』という足利市に協力することになったんですよ。宇都宮はというと、当時はクラシックをやってたんですね。」
吉原さんがバンドマスターをしているアマチュアビッグバンド「SWINGING HERD」は活動歴およそ50年。年に20〜30回ほどイベント出演の機会があり、プロの方がビックリするほど観客を集めるバンドとなっている。
吉原さんたちのネットワークで全国からジャズバンドが集まりすぎた栃木の国民文化祭は、2日間もジャズの音楽ばかりで盛り上がるという、異例の成果を上げました。
すると、クラシックに力を入れていた宇都宮市からも吉原さんに、市内の音楽イベントについての相談が届くようになったのだそうです。
吉原さんたちの手がけたイベントがたくさんの人を集めたことで、宇都宮市としては、そもそもナベサダさんの生まれた街ということもありますし、ジャズを中心としてまちを活性化しようという流れになっていったのでした。
こうして一つのビッグバンドから生まれた「ジャズのまち」宇都宮で、街に音楽好きな人を増やすために吉原さんたちは、
1)生演奏の場所をつくる
2)音楽をやりたいという人を集めてバンドをつくる
という2本柱で活動してきました。
吉原さんは「場所をつくる」ということに関して次のように言います。
「東京と宇都宮を比べると、東京には1,000万を超える人がいますから、レベルは東京の方が上に決まってます。ただ、宇都宮は『ジャズのまち』だから、月曜から日曜まで毎日必ずどこかで生演奏をやっている。」
「金土日は市内の何軒もの店で生演奏をやっているから、どちらかというとプレイヤーが足りない、それはつまりレベルダウンするということでもあります。『多少下手でも吹けるんだったら演奏してよ』って。でも、演奏する機会を重ねるうちにプレイヤーは上手くなっていきますからね。」
クラブで演奏経験を積んで海外に出たナベサダさんのように、宇都宮では日々お店でパフォーマンスを磨き、プロになった演奏家が出ています。
▼ 感動させる音楽をつくるには、歩きながらじゃないと結果的にはできない
吉原さんが講師をしている、宇都宮で一番若い、小学生から高校生までのビッグバンド「うつのみやジュニアジャズオーケストラ」も、プロの演奏家を輩出しています。
毎週行われる練習の中で吉原さんが子どもたちに繰り返し伝えてきたことは、ジャズは体を使うことを避けて通れないのだということ。
吉原さんは次のように言いました。
「よく言うのは、『歩きながら知ってるメロディーを口ずさんでよ』って。私は英語が全くわかりませんけど、音楽は『言葉がわからないから体に伝わらないか』というと、ものすごい伝わってきますよね。」
「気持ちを体で表して欲しい。口ほど最高の楽器はないので歩きながら歌ってみて、こういうふうに吹いてみたいな、楽器でこうできたらいいなって。だから、音楽をやる楽しさっていうのは、悲しい曲にもあるわけだよね。」
吉原さん「歌を歌っているような人は人を刺したり、盗んだり、タバコをポイ捨てしたりすることは少ないと私は思うから、音楽好きな人を作りたい」
吉原さんが「体で音楽をする」という感動に出会ったのは、20年ほど前にアメリカに演奏旅行に行き、アフリカ系の人たちの集まる教会でゴスペルを聞いた時だったそうです。
「クイーン・オブ・ソウル」と呼ばれたアレサ・フランクリンも通ったというその教会。体を使って心を表すゴスペルをやってきたから、彼らの演奏するジャズが表現力を持ってくるのだと、吉原さんは気づいたのだそうです。
吉原さんは次のように続けます。
「声を出しなさい、挨拶くらいきちんとしなさいと、私が大きな声を出す。『あなたたちも音楽やってる以上、声を出してくださいよ』と。」
「元気じゃない時に大きな声は出せませんよね。大きな声が出るってことは元気だってことです。なるべく子どもたちにもそういうバロメーターを持って欲しいんです。」
▼ ジャズはスポーツと同じ。「いいプレイは連鎖する」
「うつのみやジュニアジャズオーケストラ」は毎週土曜に宇都宮市立西小学校で練習している。毎年夏休みに小学生から高校生まで参加の1泊2日の合宿もある。
「うつのみやジュニアジャズオーケストラ」は約30名からなるビッグバンド。一人で演奏をするソロパートをバトンのように次のソロ奏者へと受け渡しながら音楽がつくられていきます。
その音楽の出来は、誰か一人がなんとなく上手くいかないと、それが全体に響いてしまうのだそうで、「スポーツと全く同じ」なのだと吉原さんは次のようにお話されていました。
「例えば今日練習した『In the Mood』という曲。サックスのソロに『すごくいいよね』って言ったんですけど、いい時もあれば、ダメな時もある。」
「例えば野球では1回で7点も8点も取られると、試合はボロボロになっちゃう場合が多いですよね。また打たれる、また打たれる…となっていくわけでしょう?音楽も全く同じで、接戦のときには『次で俺がやってやるぞ』ってなる。そうやっていい音楽をつくりあげていく。」
宇都宮最大の繁華街「オリオン通り」にある「オリオンスクエア」にはジャズのビッグバンドが演奏できるほどの大きなステージがあります。
「うつのみやジュニアジャズオーケストラ」もそこで定期的に演奏をしており、バンドの間、観客たちとの間で“体にくる”音楽を奏でてきました。
今の時代、音楽は聴く方が手軽になりすぎて、音楽に対して受け身でいることが多くなっているように思います。
しかし、宇都宮で吉原さんたちの目指す音楽のある暮らしとは、「いつも心に太陽を、唇に歌を」。
目の前が真っ暗になるようなことがあったとしても、音楽を通じて心を表現する喜びを知っていたら、私たちは心に温かさを失わないでいられるのかもしれません。
体で音楽をするあのアメリカの教会のように、宇都宮には毎週土曜、小学校の教室にこどもが集まる、ジャズバンドがあるのです。
■取材協力
「うつのみやジャズのまち委員会」会長 吉原郷之典(よしはら ごうのすけ)さん
「うつのみやジュニアジャズオーケストラ」の皆さん
著者:関希実子・早川直輝 2019/12/24 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。