「酒場を知ることは、そのまちを知ること」横浜の小さな出版社が編む”呑んべえの愛読書”。

煌びやかなネオンが並ぶ横浜屈指の歓楽街、伊勢佐木町。みなとみらいなどの洗練なイメージとは一線を画したこの通りには、居酒屋やバー、接待飲食店など、夜の文化が根付いています。

そんな“呑んべえのまち”伊勢佐木町の入り口には、「星羊社」と名付けられたまちの小さな出版社があります。

およそ2駅分つづくイセザキモール。赤提灯をぶら下げた店や小洒落たバーが林立する横浜屈指の夜の繁華街。

同社が刊行する『はま太郎』という本は、主にお酒好きな読者をターゲットに、横浜独自の「市民酒場」という文化について紹介している書籍です。

戦争の足音が聞こえていた昭和初期の横浜。暗いムードが漂うまちを見、「日々の疲れを癒してほしい」と酒場同士が互いに手を組み、国による酒量の配給制限に抗いながら、まちを盛り上げていたといいます。

その際に結成された「横浜市民酒場組合」。星羊社は、組合に加入している、つまり歴史の深い横浜の酒場を取材しながら「飲みの文化」を広めているんです。

▼ 酒場のカウンターに座れば、そのまちの素顔が知れる。正の面も負の面も、お酒は知っている



取材を重ねていくなかで浮かんできたのは、「酒場を知ることは、そのまちを知ること」という考え。星羊社の代表である星山健太郎さんは、このことについて以下の通り語ってくれました。

「不景気のとき、戦争のとき、そういった暗いときにはお客さんを励ます。好景気のとき、まちが明るいときは、お客さんと一緒になって盛り上がる。まちの負の面、正の面、両方経験しているのが、酒場なんです」

「そもそも酒場という存在は、歴史の浅い深いに関わらず“まちの素顔”そのものなんです。というのも、酔っているときの人って、素ですよね。社会の皮をかぶっていない」

「そんな素の人間が、今日1日の疲れや小さな出来事を背負って、酒場に足を運ぶ。『内緒だけど、今日あの場所でこんなものを見つけた』『じつはあのビルのオーナーは…』と、”まちの本音”が集まってくるんです」

代表の星山健太郎さん。 妻である成田希さんと二人で運営。執筆もしつつライターとして取材を重ねている。共通のペンネームは「いせたろう」

「前に飲屋街で仲良くなった面白いおっちゃんがいるんですけど、その人と昼間ばったり会った時に、全然違ったんですね。すごい硬くて、目を合わせてくれなかったりなんてこともありました。それくらい昼夜で人は違う」

「だから僕は、旅行などでそのまちを知りたいときは、酒場にいってカウンターに座ります。そうすると、お客さんの本音から、昼間観光していただけじゃ分からない、そのまちのリアルな断面が立ち上がってくるんです」

お酒によって現れるその人の“素顔”。そうした素顔が寄り集まり、酒場には“まちの素顔”が現れる。

そのような考え方から、はま太郎では、ただ単に酒場を紹介するだけではなく、その店のさまざまな背景や、まちが浮かび上がるような書き方がされています。

『はま太郎』を「酒の肴」にして欲しいと話す星山さん。味や価格についてのダイレクトな表現はなく、店の雰囲気が浮かび上がるような設計になっている。

通常、飲食雑誌では、各店の紹介を数ページで終わらせることが多いですが、この『はま太郎』では、数十ページにも渡って掘り下げていきます。星山さんは、これほどまでに深く書く理由について、以下の通り語ってくれました。

「うちの特徴のひとつに、紹介する店について『安い』『美味い』といった情報を書かないというのがあります。というのも、それを書くことで、情報はもう止まってしまうんですよね」

「常連のお客さんがこういうことを教えてくれたとか、店の近くにこういうものがあったとか、そういう背景の情報にまで読者の気持ちがいかなくなる。ネットの飲食サイトで、星の数だけを見てその店にいくのと同じような感じです」

「SNSがこれだけ盛り上がってる時代、紙の本がやれるのは“情報を提示”することではなく、“背景を浮かび上がらせる”ことだと思うんですね」

だからこそ『はま太郎』では、ページ数が多いにも関わらず、店の外観や店内の様子を写真で掲載するということは、あまりしないようにしていると言います。



たとえばその店の創業当初の写真のような「過去」を示す場合は、写真を掲載。「現在」を示す際は、イラスト挿入と決めているといいます。

そういったイメージが必要になる箇所には、すべて星山さんの妻・成田希さんによって描かれたイラストが掲載されているため、読者の想像が掻き立てられ、実際に足を運んだところで答え合わせができるような設計になっています。

▼ ”本”から”リアル”への移行。そこにお酒があるから、人が集まってくる

本の出版だけでなく、リアルなイベントにも活躍の場を広げている星羊社。横浜の文化人を呼んで、お酒を囲んだ催しを開催することも。

このようにひとつの店を深掘りをするからこそ、二人の取材方法も独特。その流れについて、星山さんは以下の通り語ってくれました。

「基本的に、“取材お願いします”からは入らないです。もうその時点で、相手は“素顔”ではなくなってしまいますから」

「僕たちは基本的に、まずはお客さんとして入店して、何度か通います。客として、店の雰囲気を、素顔を、味わいます。そっちのほうが店の魅力が素直に入ってきますから。そこで店主と打ち解けたら、じつはこういうものでしてと」

「だから僕らは取材するときも、“ライター”としてではなく“呑んべえ”として、その店に、そのまちに、迷い込んだようなテンションでいくんですよね」



創刊当初は、『はま太郎』の読者層を中高年などのサラリーマンと想定していたという星山さん。だからこそ、本の装丁には全て“おじさん”が描かれています。

ですが蓋を開けてみれば、中高年に限らず、大学生などの若者や、子持ちの主婦など、多様な読者層に支持されていることが分かったそうです。その理由について、星山さんは次のように語ってくれました。

「お酒は昔から、生活のなかの深い部分に関わってきた。誰にでも本当の素顔になりたいときはあるし、生きていればしらふでは受け止めきれないような悲しみがある」

「むしろ年齢や、社会的なステータスを選ばない”差別のなさ”が、お酒のいいところ。差別がないからこそ、多くの人に愛され、やがて酒場自体が、ひとつのまちのようになっていくんです」

星羊社のアトリエ。本だけでなく、グッズなど「物」にも裾野を広げている。

最近では、本に限らずリアルなイベント等も開催しているという星羊社。2018年には「はま太郎フェス」というイベントを行い、横浜の文化人によるトークイベントや物販も行い、本からリアルへ、という動きも意識しているそうです。

もちろんそんな「はま太郎フェス」でも、その中心を担った“お酒”。建前を余儀なくされることも多い現代社会では、そのような素顔に戻る機会は珍しくなりました。

素に戻り、酒場に溶け込む。そして、まちに溶け込む。そういった非日常も、ときには良いのかもしれません。

【取材協力】

株式会社 星羊社/星山 健太郎さん

          成田 希さん

【アクセス】

神奈川県横浜市中区伊勢佐木町1-3-1

市営地下鉄・JR関内駅より徒歩3分ほど


著者:清水翔太 2020/2/25 (執筆当時の情報に基づいています)
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