まち全体が宿になる。椎名町でタウンステイを推めるまち宿「シーナと一平」。
池袋駅から電車で一駅、昔ながらの商店街が網の目に伸び、ゆったりとした空気が流れる椎名町。都心の喧騒から逃れたこの小さな町に、多くの外国人観光客が宿泊する旅館があります。
「シーナと一平」と名付けられたその場所は、築45年の民家をリノベーションした小さな宿で、トイレやシャワーも共同といった最小限の設備にも関わらず、Booking.comでは毎年9.4前後の高評価を得るなど、海外から注目されています。
風情ある商店街をいくつか抜けると、現れる「シーナと一平」の趣ある外観。中に入ると、広々とした和室が宿泊者を迎える。
その大きな理由となっているのが、「タウンステイ」という概念。まち全体を宿と捉えるという考え方です。
シーナと一平に浴室がないのも、まちの銭湯を利用してもらうためであり、食堂がないのも、まちの飲食店を利用してもらうためでした。
▼ ガイドブックに載らない「日本の日常」を味わってもらいたい
一階の和室でくつろぐ宿泊者。この場所では、時おり地元住民との交流も生まれる(写真:先方提供)。
宿だけでなく、宿泊先のまちの日常を楽しむことができる。そのことが、外国人観光客から人気を博す大きな理由のひとつとなっているようです。オーナーの日神山晃一さんは、この考え方について、以下のとおりに語ってくれました。
「お客さんには、日本の当たり前を体験してもらいたいと思っています。秋葉原も浅草も行った、有名な観光スポットも行った、そういう観光客の方ってたくさんいると思うんですが、逆にガイドブックに載っていない日本というのは、普通味わうことがない」
株式会社シーナタウン代表の日神山晃一さん。6年ほど前から椎名町に暮らし、自身が経営する内装設計施工会社もこのまちに構えている。
「でもそれを体験することが、旅の本当の楽しみだとも思っていて。例えば海外に旅行したときって、観光スポットもいいけど、近くのスーパーとかも楽しい。『こんな食材売ってるんだ』『こんな会計のシステムなんだ』という小さな驚きが楽しさにつながる」
「だからこそ、とくに日本が好きな人ほど、地元の人が行きつけている飲み屋や寿司屋に入ってみたい、と思っているのではないかと考えました」
「そのことから、宿のなかで設備やサービスをすべて整えるのではなく、その余白の部分をまちに出て堪能してもらう。宿とまちを足して『旅の総和』になるという考え方ですね」
宿のパンフレットの裏面に描かれた地図。手書きで印字された地図は真っさらな状態のため、行きたい場所によって、それぞれオリジナルの地図が出来上がる。
このような思想から、シーナと一平で配られるまちのマップは、白地図だといいます。駅や学校といった最小限の位置だけが記され、他の部分は、宿の番頭や、ときに宿に遊びに来た地元の人が、宿泊者の行きたいところを尋ね、地図にプロットしていく。
そうすることで、まちと宿泊者の深いコミュニケーションも生まれ、また自分だけの「体験」になっていくといいます。
宿泊者が帰り際に記入していく感想ノート。それぞれの国の言葉で綴られている。椎名町の魅力やシーナと一平のスタッフへの感謝の気持ちなどが記されている。
このような取り組みにより、外国人観光客から好評を得ているわけですが、一方で地元の人からも評価が高いシーナと一平。
当初は「まちの異物になるのではないか」と懸念していたという日神山さんですが、クレームのようなものはほとんどないそうです。この理由について、日神山さんは次のように分析しました。
「いろいろ理由はありますが、この店の歴史が大きく関係しているように思います。この宿は、じつは元々老舗のとんかつ屋でした。そこをリノベしたんですが、当時の店の看板はそのままにしてあるんです。『地元の人に愛されたこの店の血を受け継いでいます』と知ってもらいたくて」
見た目は完全にトンカツ屋のシーナと一平。そのため、外観はまちの雰囲気に溶け込んでいる。
「だから旅館にも関わらず、外観はトンカツ屋のまま。間違えてトンカツを買いにくる人もいるくらいです。『ホテルが建ちました!』というような主張はせず、あくまでまちの色に染まっていく、というのがうちのスタンスです」
「さらに一般的な宿泊施設のように、外から閉じられている空間にするのではなく、あえて中を見通せるように扉なども透明にしています。何が行われている場所なのか分かったほうが、地元の方も安心ですから」
▼ 宿の一階は、地元の人の表現の場に。「各国から人が集まるからこそ、椎名町が世界に発信される」
一階の和室で交流を図る宿泊者と地元住民(写真:先方提供)。
そんなシーナと一平の大きな特徴として挙げられるのが、一階のレンタルキッチン兼アトリエスペース。ここでは、地元のクリエイターや趣味を持っている人たちが、アトリエとキッチンを使って創作し、それを宿泊者が見たり味わったりして、楽しむ場となっています。
もともと椎名町のあたりは、多くのアーティストが生まれた貸し住居付きアトリエである「池袋モンパルナス」や、手塚治虫や藤子不二雄などの著名な漫画家が住んでいた「トキワ荘」があった表現者のまちでした。
だからこそ、いまでもクリエイターや夢を追う人が多く住んでるのだそうです。日神山さんは、このような地元の表現者の発信の場にもなってほしい、と次の通りに語ってくれました。
「宿泊者だけでなく、まちの人にもこの宿が価値になってほしいと思ったんです。だから表現する場をつくるとともに、それを見てもらえる環境にもなってほしいと」
表現の場であり、また発信の場でもある一階スペース。靴を脱いでくつろげるという開放感が、地元住民と宿泊者のコミュニケーションをより深いものにする(写真:先方提供)。
「たとえば現代って、海外のインスタグラマーが自身のアカウントに一回載せただけで、一気に有名になれる時代ですよね。だから多くの宿泊者の方に見てもらい、それが世界に発信されて、いずれはこの場所から有名になる人が出てくればいいなと思いました」
宿泊者とまちの人、両方の価値になってほしいという日神山さんの考え。これだけ強く椎名町を思うのには、ある背景がありました。
それは、椎名町のある豊島区が消滅可能性都市と呼ばれ始めたこと。若年層の人口流出などにより、23区のなかで唯一指定されている同区。それに伴い空き家が増え、商店街もシャッターが増えてきたといいます。
「宿内の営みは外に見えるようにしておいたほうがいい」という日神山さんの考えから、扉はガラスで透けている。中を見せることで、住民に安心感を与え、また「楽しい場所」であることが伝わるようになっている。
そんなななか、豊島区がリノベーションまちづくり構想を掲げ、そのひとつのプログラムからこのシーナと一平は生まれました。
まちが徐々に寂しくなり、自信を失っていた地元の人も、海外から来た宿泊客に「楽しい」「面白い」と言ってもらうことで、椎名町の価値を再認識してもらえているといいます。
そんな椎名町の未来について、最後に日神山さんは以下の通り語ってくれました。
「このまちの魅力を発信していきたいという強い気持ちで、ここを運営しています。だからこそ、まちの魅力が伝わるなら、『宿』である必要はないとも考えています」
「いまある2拠点目は、お弁当屋とかケータリング、3拠点目はビールの醸造とギャラリーとラジオなんです。今後もより多角的に、椎名町を中心とした池袋西側のロールを、世界に広めていけたらなと思っています」
ガイドブックに載らず、観光スポット化もされていないからこそ、「日本の日常」を味わえる椎名町。小さなまちの魅力が、豊島区の発展に大きく貢献しているようです。
【取材協力】
シーナと一平/日神山 晃一さん
【アクセス】
東京都豊島区長崎2-12-4
西武池袋線「椎名町駅」より徒歩5分ほど
著者:清水翔太 2020/3/17 (執筆当時の情報に基づいています)
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