地元民も知らない地元がある。「おむすび」を通して板橋の歴史を伝えていく板五米店。
東京23区北西部に位置する、歴史と文化のまち・板橋区。そのなかでも仲宿という地域は、かつての日本橋から京都三条大橋までの内陸路である中山道に位置し、宿場町として栄えました。
しかし現在では、時代の流れと共に、タワーマンションが建ち、またチェーン店が進出したりと、資本主義化のなかでまちの色も変わりつつあります。
そうした時代の変遷のなかで、まちの歴史や日常を次代に継承していこうと、取り組んでいる施設があります。
「板五米店」という米屋は、創業百年を誇る地域商店で、まちの文化や歴史の中心としてこの地に根付いてきました。まちのシンボルともなっていたこの店が、さらに「継承」をしていく施設として新たに生まれ変わったのは、2019年12月のことでした。
古き良き風情漂う仲宿の商店街を入り、すぐのところにある板五米店。中はリニューアルされ大きく様変わりしたものの、外観はほとんど当時のまま。また精米機など当時のシンボルは、いまも残っている。
地域の民芸品や大昔のまちの写真などが、役所から寄贈され、板橋の歴史を知れる施設に様変わり。さらに、地域住民による観光案内所も付設され、地元の人すら知らない地元の道やスポットを広めていこうという取り組みも始まりました。
そしてその中心にあるのが、「米」。ただの米ではなく、おむすびカフェとして、より手軽に、広く住民同士が交流できる施設に生まれ変わりました。ヒト・モノ・コト、板橋のまちの資源を一箇所に集めた板五米店は、現在のこの地の賑わいの中心となっています。
▼ まちの歴史を守ることで、新しい文化を受け入れる「余裕」ができる。
この米店の生まれ変わりを中心で担ったのは、板橋で産まれ、板橋で育った永瀬賢三さん。このプロジェクトについて、次のように語ってくれました。
「僕の家は商売をしていたので、あまり親に構ってもらえませんでした。でも寂しいと感じることがなかった。それは、僕の家が、ちゃんと地域と繋がっていたからんなんですよね」
「だから僕はこの地が大好き。そういうなかで、約10年前にタワーマンションやチェーン店が一気に入ってきたときには、正直拒絶反応を起こしました」
「でも考えてみれば、若い人や新しい文化が入ってくるってのは決して悪いことじゃない。むしろ、良いところはまちの文化に取り入れればいい。だからこそ、絶対に失われてはいけない部分、歴史や情緒というものを、一箇所に集めて残していこうと考えたんです」
板五米店1階に入るおむすびカフェの厨房。仲宿エリアは「縁宿」というキーワードがあるため、「お米」と「縁」をキーワードにすることで、自然と「お結び」というテーマが浮かんだという。
そのようななかで、中山道の時代からまちのシンボルとしてあり、文化を引き継いできた板五米店をまちのアイコンとして、次代に引き継いでいこうと考えた永瀬さん。
歴史的建造物として保存するのではなく、「食」という人の共通項であり、またそのなかでも「米」という日本人の共通項をその中心に置くことで、人を呼び込み、施設に血を通わせる。
気軽に「おむすびでも買いにいこう」というところから店に入り、そこにあるカフェスペースで地元住民の交流が生まれ、同時に歴史的展示品も見て文化を学ぶことができるという設計になっています。
土曜のみ開いているという観光案内所。地域の人や観光協会の人がこの場所に座り、主に地元の人をガイドする。(写真提供:板五米店)
また付設された観光案内所は、一般的な外向けのものではなく、基本的には、地域の人がより地域を知るためのもの。「こんなところあったんだ」という場所ももちろん、「こんな特技を持つ人がいるんだ」という人も紹介しています。
そんな板五米店をリブートしようと思い立ったきっかけは、近所の老舗銭湯の解体だったと話す永瀬さん。
米店と同様にまちのアイコンだったからこそ、「これだけ立派なものがなくなるわけないだろう」と見ていたところ、資本主義の流れで淘汰されてしまっため、驚き、ショックを受けたと言います。この際に気づいたことについて、永瀬さんは以下のように語ってくれました。
「どれだけ自分が『まちの傍観者』になっていたかって思い知らされたんです。同時に、変わらないまちはみんなが主体的だし、変わってしまうまちは、そこに住む誰もが傍観者だって気づいたんです」
「現に、銭湯解体後にまちの人に話しを聞くと、みんなショックを受けてるんです。なんで潰れちゃったんだろうって。これだけ多くの人が惜しんでいるのに、潰れるのはおかしい。もう傍観者はやめようと思うようになりました」
▼ 資金集めに採用したクラウドファンディングは、地域興しとの相性が抜群だった。
(写真提供:板五米店)
まちが変わっていくという危機感から、もうひとつのまちのアイコンである板五米店のリブートプロジェクトに着手した永瀬さん。そしてその手法として、クラウドファンディングを採用しました。
その理由は、まちの人にあえてお金を払ってもらうことで、主体的にまちを見てもらえると思ったからというもの。資金調達だけを考えれば銀行融資のほうが手っ取り早かったものの、プロジェクトの始まりの部分で周囲を巻き込むことで、まち全体で板五米店の再生に取り組んでいけると思ったといいます。
リターンについても、おむすびやドリンクチケットなど、その後に来てもらえるような仕組みを採用。その結果、目標金額250万円のところを、最終的には370万円ほど集まり、約150%の達成度となりました。
リニューアルを祝い、乾杯する永瀬さんと地元住民の方々。(写真提供:板五米店)
この取り組みにより、住民のまちへの愛が顕在化されたと語る永瀬さん。地域の継承とクラウドファンディングの相性は極めて良かったと振り返ります。
多くの人が集まり、多くのメディアに注目されている板五米店。しかし永瀬さんは、この場所を観光地化したいわけではないと語ります。
「もちろん外から人が集まってくるのは嬉しいですけど、あくまで目的は、このまちの自然な日常を継承していくことです」
「観光には『消費』が伴います。個人商店が多いこのまちでは、生産が追いつかなかったりすることも当然あります。すると、結果的にはまちの日常も消費されてしまいます」
永瀬賢三さん。このまちで生まれ育ち、2010年に板橋3丁目食堂という店舗を開業。地元商店街理事も務め、今年2019年に家守型まちづくり会社を設立し「おとなりスタンド&ワークス」というカフェ&コワーキングスペースを開業。その後、板五米店のリブートを手がける。
「そうではなく、まずはみんなでまちを知り、楽しむことで、当たり前の日常を『蓄積』していく。ちゃんと蓄積し続けていれば、まちが枯れることはありません」
新しくていいものは取り入れ、絶対になくしてはいけないものを残していく。不易流行を体現している板五米店は、今後もさまざまなチャンネルを持ち、まちの魅力を次代に引き継いでいくようです。
【取材協力】
板五米店
株式會社 向こう三軒両隣/代表取締役 永瀬 賢三さん
【アクセス】
東京都板橋区仲宿40
都営地下鉄「板橋区役所駅前」より徒歩1分
著者:清水翔太 2020/4/9 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。