深夜〜朝8時まで街全体がアートギャラリーになる街、下北沢

世界各国で発行されている情報誌『タイムアウト』が発表した「世界で最もクールな50の街」という2019年版ランキングにおいて、下北沢が世界で2番目にクールな街に選出されました。

下北沢といえば、古着店を始めとした個性的な店が軒を連ね、さらに下北沢駅の半径100mには信号がなく車や大きな道路とは無縁の街であることから、歩行者優先のヒューマンスケールな街と言われています。

また、下北沢は東京でもっとも多様性に富んだ街とも呼ばれ、「演劇の街」や「古着の街」あるいは「ミュージシャンの街」といったように、街を訪れる人の目線次第で様々な顔を見せる街です。

このように多面的な性格を持つ下北沢ですが、多くの店が閉店する夜11時から店が開店準備を始める翌朝8時ごろにかけて、普段とは全く別の顔を見せます。





朝8時ごろまでに下北沢を訪れると、開店前の店のシャッターに色とりどりのシャッターアートが施されていて、まるで街全体がアートギャラリーのような形相を見せるのです。

このシャッターアートの背景には、多様性に富んでいるがゆえに引き起こる街のトラブルを解決するために行われた施策でした。

様々な人々が集まる下北沢では、長年、シャッターの落書きが深刻な問題として挙げられていて、一時的に消しても次から次へと落書きが増える状況にあったそうです。そこで逆転の発想として挙げられたのが「消すのではなく、あらかじめ絵やデザイン画を描いてしまおう」というアイデアでした。

シャッターペイントを施した結果、落書きは大幅に減少し、それどころか道ゆく人々がシャッターアートをゆっくりと眺めたり、写真を撮ったりするなど、商店街の価値を底上げする効果があったのです。





落書き対策として高い効果を発揮した下北沢のシャッターアートは、行政が行ったのではなく、あくまでも商店街が自主的に行ったものでした。

ここから見えてくるのは、下北沢で商売をする人たちの「自分たちの街は自分たちで作っていく」という強い意気込みです。

大資本による開発によって街が整備されてきた二子玉川やたまプラーザといった街とは異なり、下北沢は昔から住民主導のボトムアップ的な手法でまちづくりが行われてきた歴史があります。

実は、このシャッターアートが導入されることになった経緯は下北沢の歴史を紐解くと深く納得できるものでした。



そもそも下北沢は小田急線(1927年)と京王線(1933年)が開通するまで小さな農村でしかなく、鉄道の開通を機に徐々に発展していった街だったのです。

行政による区画整理によって統一感がある街とは異なり、下北沢はかつて農村だったこともあり、下北沢の住民が「農道」をもとに自ら地区整備を行いました。下北沢の「良い意味で雑多とした非均一な街の雰囲気」は、実はこの住民主導の地区整理が起点となっていたのです。

その後、日本は戦争に突入し東京の多くの街が空襲被害を受けたものの、下北沢の北口一帯は奇跡的に空襲の被害を免れることができ、終戦直後の食糧難が訪れた際には駅前にかつて「下北沢駅前食品市場」と呼ばれる闇市が作られました。

この食品市場は既存の商人と外から新しく入ってきた商人が共に新旧一体の経営を行い、この頃から街に集まる人々の多様性が高まっていました。こうして様々な人々を受け入れ、独自の発展を進めてきた下北沢には次第に若者の姿が目立つようになります。



下北沢には大学は一つもありませんが、下北沢から30分〜1時間圏内には数多くの大学があり、学生が多く集まった下北沢は「下宿」の街としての顔を持つようになったのです。

こうして若者が街に集まればそこに新しい文化が根付くのは当然のことで、1979年の下北沢音楽祭の開催や本田劇場を始めとした数多くの劇場の設立によって、下北沢は若者文化の街として発展していきます。

これが現在の「サブカルチャーの街、下北沢」としての起点となったわけです。





しかし、こうした新しい文化は初めからすんなりと街に受け入れられたわけではなかったと言います。

今となっては下北沢のランドマーク的な存在になっている数多くのライブハウスも、当時は若者が「街を汚す」「道路を占拠して酒を飲み散らかす」「大きな声で騒いで迷惑だ」と非難の対象でした。

そこで仲介役として名乗りをあげたのは行政でも警察でもなく、商店街。商店街は地元住民とライブハウスとの仲介役として対話や交渉を続け、その成果もあり、次第にライブハウスが自主的に街の清掃に携わるなど街に溶け込むキッカケとなったのです。



まちは社会状況の変化や、人の出入りによって流動性が高まれば高まるほど、新旧の文化との間で対立が起こるものです。こうした問題に対して下北沢の人々は自ら課題を見つけ解決策を模索するなどして、あくまでも「自治的」な暮らしを営んできました。

そうした姿勢は現代においても健在で、それをよく表しているのがまちのシャッターアートなのではないでしょうか。

下北沢で導入されているシャッターアートは、あらかじめアートを施すことによって落書き防止と景観向上の両立を促すリーガルウォールという欧米由来の考え方をシャッターに応用したもの。

役者やミュージシャンが集まる「表現の街」としての特色が強くなっていた下北沢において、シャッターアートのデザインはボランティアで絵を書きたいという美大生やデザイナーに託しました。



下北沢の商店街青年部員が自らシャッターへの下地塗りを行い、商店街が塗料や養生代を負担した上で、若いクリエイターたちにシャッターのデザインを依頼したのです。

シャッターというものは昼間の営業時間帯には開いて見えないという仮説的な性格を持っており、気軽に取り組んだり実験を行うハードルが比較的低かったことも導入の背景として挙げられるのかもしれません。

いずれにせよ、落書きが横行している場合、警察や自治体に頼るのは簡単ですが、そうした姿勢は「誰かがやってくれるだろう」という雰囲気の醸成に繋がり、それでは良いまちづくりにおいて足かせになることは明らかです。

その一方、自らの力で解決策を模索することが「街の課題を街の強みに転換すること」に繋がると下北沢の人々は理解しているのではないでしょうか。

そう考えれば、下北沢が世界で最もクールな街の一つと称される理由がよく分かる気がします。


2020/7/3 (執筆当時の情報に基づいています)
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